世界を動かすのは政治力

kohl spiegel w850毎日毎日,動揺する世界のニュースに重なるのは,影の仕掛け人たちと尽力者たちという二重の顔を持った政治家たち

多くの政治家はPolitikerですが,ときにStaatsmannと呼ばれる政治家がいます。
ヘルムート・コールも党派を問わず,多くの人たちが認めるStaatsmann(為政者)のようです。のようです,としか云えませんが。

ぼくが初めて西ベルリンに来た頃,友人宅に集まっていたドイツ人の大学生たちは「こんな頭の悪い奴が首相になったら大変だ」という抵抗議論で盛り上がっていました。友人がときどき英語に訳してくれたのですが,「今ねぇ,西ベルリンの有り方について話しているんだ。共産主義国の東ドイツ国民と価値感は離れすぎてしまったし,東西ドイツが一緒になれる可能性は全然ないんだから,西ドイツを最終ドイツとするというのと,いや少ない可能性でもドイツ統合に向けて何かするべき,という意見で割れているんだ」と全然理解できないドイツ語議論が夜遅くまで続いていた頃を思い出すと同時に,それ以来,ぼくが知ったコールという人間に共感を覚えることはありませんでした。

相容れない,典型的ドイツ人の価値基準の代表格,コール

今日の日経オンラインに,「イタリア・ルネサンス期の政治思想家マキャベリは「君主論」の中で、国のリーダーは『恐れられる存在であらねばならない』と書いた。なぜ、そう考えたのか。市民の力は侮れない。だから反旗を翻さないよう抑えておく必要がある、と思っていたからかもしれない。」とあったので,コール前首相の死去に関する記事かと思って読み続けたら,違っていました。

あの頃の西ベルリンの学生たちの杞憂が当たり,コールは首相になり,それこそドンになって,どんと居座ってしまいました。

ドイツ統合のチャンス

kohl mitterand pinterestde w600冷戦時代は後で思い起こすと確かに不穏の時代ですが,その頃は現実だったわけですから,包括的に考えて徐々に融和を図るというのが流れだったような気がします。
ゴルバチョフという人についても詳しくは知りません。しかし,ゴルバチョフがソ連地域の民主的な再構築という,計り知れない難題に挑んでいるときに,コールはドイツ統合のチャンスだと思ったことは間違いないでしょう。そして,ゴルバチョフを助けるふりをしながら,本音は,ソ連なんてどうでもいい,崩れた方がいい,ドイツ・ファーストだ,そしてドイツ統合を実現した私の名が歴史に残るのだ,という名誉欲に取りつかれていた。

こういう風に考えるのは,その後のメディアやドキュメンタリーからの推測ですが,きっかけとなったのは,1990年のフランクフルト書籍見本市です。ぼくは日本ブースで働いていたのですが,多くの日本人はドイツ人に対して,統合を祝う言葉を投げかけ,お祝いムードにあふれていました。その中で講演者のギュンター・グラスはあまり浮かぬ雰囲気で話していました。内容はあまり,いやほとんど理解できなかったのですが・・・。姿は見えませんが,スピーカーから流れた言葉の中で「ドイツ統合は急ぎすぎるのではないか・・・」という意見が気になりつつ,とても貴重な真意に思えたのです。

wikipedia Erich Honecker Helmut Kohl w170強大国ドイツの誕生を恐れる国々を強大な力と金で説得したという皮肉な結果ながら,取引に成功したという意味では,コールの功績は大きいのかも知れません。しかし,欧州連合のためだといいながら,ドイツ・ファースト,永遠のコール確立の嫌らしさを感じるのは僻みでしょうか。
ゴルバチョフを支援する約束をしながら,約束の項目だけ守ればソ連やゴルバチョフはどうなってもいいという態度,東ドイツ人民には統合で急激に豊かな生活になると訴え,10分の1以下の価値の東ドイツマルクを1対1レートで西ドイツマルクと交換すると共に,莫大な東西ドイツ統合費用をかけた構造改革にもかかわらず,「夢の豊かな生活」が得られない旧東ドイツ人からブーイングとタマゴを投げられても,憤慨するだけで「人の感情」を理解できないコール,功績の影に見え隠れする,繊細さに欠ける傲慢がとても気になるのです。

いつもひとりだったハネローレさん

他人の家庭のプライバシーや夫婦関係について述べるつもりはありませんが,前コール首相夫人のハネローレさんがいつもひとりだったのはなぜか気になりました。
どんな活動をしていたのか忘れましたが,英国のダイアナ妃のように,テレビで映る活動状況のときだけではなく,気のせいか,家庭内離婚のような雰囲気だったのを覚えています。
その後,ハネローレさんの病が公になっても,少なくともテレビ画面ではコールはいつも無関心のような感じでした。そして自殺,プライベートな世界であることは認識しつつも,生きる苦しさも少しの喜びも伝わってこない,政治以外に無関心なコールを主人にもった家庭は,ぼくにはとても悲しく映っていました。
人間の生き方の良し悪しの差は少ないでしょうし,判断できるものでもありませんが,同じヘルムートでも前シュミット首相夫妻とは正反対でした。

ショイブレを睨みつけるコール

Helmut Kohl merkel weltde w600ご存知のようにコールは不明な寄付金で辞任を強いられることになるのですが,寄付者の名前を挙げるのを拒否した最終段階のころの公開質問の様子は今でも忘れません。コールは壇上で質問に答えながら,隣りに座っているショイブレをときどき睨みつけるのです。「お前,言うなよ! 口に出すなよ! ずっと黙ってろよ!」と,目で訴えているかのように。

その後,ショイブレはバーに押入った刺客に襲われ,一命を取り留めたものの車椅子の身になります。すぐ隣りにいたコール首相の身代わりになったような感じです。
「お前は俺が言うようにしていれば,いつか首相にしてやるよ」というコールの言動には驚きません。
コールに尽くすだけ尽くしてきたショイブレですが,コールは辞任後,「お前なんかを首相にするものか」とばかり,メルケルを推奨します。
政治の世界ではこのくらいのことは当たり前なのかも知れませんが,コールが亡くなった昨日(6月16日),テレビでは多くの政治家や有名人の「ひとこと」が語れていましたが,ショイブレの姿はありませんでした。
もしぼくの想像が当たっているとするならば,彼のように,社交辞令が言えない生真面目な人は,多くの人たちのようにコールを称える言葉を言えないのでインタビューを拒んだのではないでしょうか。
コールの最も近い位置にいたショイブレの,コールに対する感情は複雑なのです。

多くのドキュメンタリーを見る限り,ドイツの戦後は実際は複雑だったことを毎日感じます。ホロコーストの猛反省から民主主義の厳守教育と周辺諸国との和平に努めながら,ホロコーストの加害者たちの追跡や裁判を阻止してきた保守主義者が多かった中で,68年代の思想や緑の党などを確立したのも同じドイツ。

アメリカの車を買え,とドイツに迫りながら自分はメルセデスに乗っているトランプ大統領のように,ドイツの教育システムは世界最高と自慢しながら自分の子供はアメリカに留学させたコール前首相ですが,30年前には想像すら難しかった現在のドイツとヨーロッパはコールがいなかったが,かなり異なった世界になっていたことは明らかでしょう。 

neuhelmut kohl konrad adenauer expressde w400ドイツ人はアデナウアーに並ぶ為政者としてコールを尊敬してもいいかも知れません。
ヨーロッパ人は実質的な欧州連合を一歩進めた功労者として認めてもいいでしょう。
ぼくは,とにかく政治家は別人類なので分かりませんが,ハネローレさんを亡くし,自分も病で車椅子生活になってからでも,ふつうのひとたちの心を少しでも想像し始めて,人間らしい晩年を送ったことを願っています。
もし知りあっていたら全く分かり合うことのできない典型的な古いドイツ人だという印象を抱いたと思います。いや,やっぱ偏見かなぁ。

 

 

Le Tour de France 2017
6月29日(木)~7月2日(日)

ついにデュッセルドルフにやって来た,トゥール・ドゥ・フランス


トゥール・ドゥ・フランスの正式な本レースの開始は7月2日ですが,数日前からの予選レースに併せ,多くのイベントが催されます。
デュッセルドルフは6月29日から数日間,自転車一色,自動車では市街地の交通だけではなく駐車も大きく制限されます。
また,レース走行路周辺の住民は路上駐車も数日間制限されますので,市街地やオーバーカッセル地区のライン河畔に住んでいる人は役所からの通知書に従ってください。

 

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転車レースファンでなくても,トゥール・ドゥ・フランスがデュッセルドルフで開催,それもグラン・デパール(出発地点)がデュッセルドルフとなると腰が浮くのではないでしょうか。
ガイゼル市長に変わったとたんにトゥール・ドゥ・フランス誘致の議論が市議会で行われているのを耳にし,寄付と広告スポンサーだけで賄えないほどの金がかかるイベントの必要性を疑問視していましたが,決まったからには市民にパワーを与え,デュッセルドルフの魅力をアピールするイベントの成功が愉しみになってきました。
旧市街のライン河畔の自動車道路が地下に埋まり,メディアハーフェン地区が出来上がるにつれ,デュッセルドルフはひょっとすると他都市では実現できない,自転車のようなロードイベントに最も適した環境を備えているような気がしています。

見本市会場からライン河畔沿いにいくどか歩きながら,こんな気持ち良い道はこんど自転車で来よう,と思いながら未だに実現していません。
しかし,考えることはみな同じ。トゥール・ドゥ・フランスの第一レースは,見本市会場から出発してオーバーカッセルを往復した後,再び見本市会場に戻るまでのコースになっています。

リッチな人はVIP券を購入して特等席から観覧してください。
一般人は無料のお奨め場所やパブリックビューイングで我慢して,いや楽しんでください。

インフォメーション・リンク

デュッセルドルフ市 - Le Tour de France ドイツ語
デュッセルドルフ市 - Le Tour de France  英語
デュッセルドルフ観光局 - Grand Départ der Tour de France ドイツ語
第一レースのコースとイベント広場マップ
本レースのコースとイベント広場マップ

6月29日(木)
18時30分~20時 選手の紹介

全員で198名となる22チーム(9名/チーム)の選手たちの紹介がデュッセルドルフ旧市街のブルク広場(Burgplatz)で行われます。

■ 選手紹介のパブリックビューイング会場

・Am Marktplatz
・Grabbeplatz
・Johannes-Rau-Platz
・Kö-Bogen

6月30日(金) 
ベンラート城庭園クラシックコンサート

デュッセルドルフ南のベンラート城庭園で例年催されるライティング屋外クラシックコンサートですが,今年はトゥール・ドゥ・フランスの選手の紹介も行われます。
演奏: デュッセルドルフ・シンフォニー
・日中は選手たちは各自トレーニング

7月1日(土) 
第一レース

tourdefrance ddorf etappe1 113時45分: 宣伝パレード
15時15分: レース・スタート
見本市会場を出発,オーバーカッセル橋からオーバーカッセルに渡り,ラインクニー橋から再びデュッセルドルフ市街に戻った後,一周して到着時点の見本市会場までのコース(13 km)
* 3万台の自転車を駐輪できる20ヶ所の駐輪場設置
** 19時30分から Ehrenhof で,伝説の(?)クラフトワーク演奏

パブリックビューイング(音楽イベントなども併催)

・Burgplatz(ブルク広場)
・Eventfläche am Landtag(州議会イベント広場)
・Grabbeplatz
・Graf-Adolf-Platz
・Marktplatz
・Bürgerwiese im Rheinpark(ラインパーク芝生)
・Kö-Bogen
・Picknickwiese am Rand des Hofgartens(ホフガーテン・ピクニック芝生)

7月2日(日) 
本レース

tourdefrance ddorf etappe2 112時03分: ブルク広場スタート

スタート時刻はなぜか12時3分に設定されていますが,いずれにせよスタート後の8キロは速度が記録されないウォームアップ走行なので全選手ゆっくり走るようです。
その後,デュッセルドルフを離れ,ベルギーのリエジュまで走ります。