歌うということ - 讃えたい人,松田美緒さん

birds w640日前,ふと日本人のボサノバ歌手をインターネットで探したら幾人かの人たちが推薦されていたので,ユーチューブの検索で見つかった数人の音楽を聴きました。

その中に,松田美緒さんという方が歌う国電の沿線上のようなライブが1曲ありました。他の人たちのボサノバは1回限りの視聴でしたが,松田美緒さんは,特に感激したとか,いいなと思ったわけではないのに,さらに検索して別のユーチューブ・ビデオで彼女の音楽をバックミュージック的に流し,何となく聴いていました。

最初の目的だったボサノバ曲はもうなく,またどちらかといえば僕が聴きたいタイプの音楽でもありませんでしたが,さらに何となく続けて流したままにしていました。その内,日本語ではない,しかし日本人アクセントのない外国語の唄が流れてきたので,興味が沸き,少しさらに検索してみました。

すると彼女はファドが好きでポルトガルに滞在していたことが書いてありました。

chanson w640僕はドイツに住んでいますが,どこに行きたいかと問われると,まずフランス,イタリア,スペインなどの南欧の国を挙げますが,どこの国が好きかと聞かれたら,迷わずポルトガルと答えます。まぁ,それも特に確固とした理由があってのことではないのですが,ファドが好きでポルトガルまで行った人には少し感情移入が起こったのは事実です。

我が家のテレビはドイツテレコムの回線を利用しているので,インターネットも見られるのですが,日本語は入力できません。それで,ユーチューブでMio Matsuda と打ったら1つだけ表示されました。

どこか分かりません。ポルトガルの田舎の狭い集会所か個人の家みたいな場所で,地元の人たちを前に松田美緒さんは流暢なポルトガル語で挨拶した後,ポルトガル語と日本語が混ざった歌を1曲(最高だね?)歌っていました。映像も音声も良くないのに雰囲気は十分伝わって来ます。

そこには,地元の人たちに直接語りかけ,自分の歌を通してひとりひとりの心の中に入って行きたい美緒さんの気持ちがあふれ,地元の人たちも暖かく受け止めている様子が現れていました。美緒さんの歌を愉しんでいるポルトガルの人たちの表情がとてもあたたかいのです。

電車の音がうるさい沿線上のライブといい,ポルトガルの集会所といい,松田美緒さんは,録音の音質も,知名度を狙うPRスタイルも気にせず,目の前で聴く人たちと,生の人たちを前に歌う自分,という世界だけを大切にして,人の前で歌うということはひとりひとりとの対話が絶対条件と考えている人ではなかろうかと思い始めたのです。

現代世界の音楽界は,流行歌やポップスはもちろん,クラシックや民謡などでも,メインストリームに乗ったコマーシャリズムの中に完全にはまり込み,僕を含む,ほとんどの人たちにとって,音楽は軽いタッチのレジャーになっています。

特に戦後のラジオ・テレビ時代で加速し,「流行っている」ことが大きな価値基準となり,流行に生み出されただけの音楽に心身ともに完全に支配されてしまった感じです。

自分の好きな音楽だけを続けているように見えるプロでさえ,多くの場合,ヒット曲と自分の知名度を狙い続け,有名になって金も入って来ると初期のハングリーな魅力は音楽から消え失せるケースがほとんどです。昔,NHK番組のエキストラのアルバイトをした折,ディレクターから「今回は宇崎竜童先生に音楽を担当していただきまして・・・」と聞いたときは驚きました。別にNHKが体制側でロックは反体制というつもりはありませんが,茅ヶ崎や横須賀周辺の裕福な遊び人がアメリカの流行をただ先取りして真似ただけのような60年代の音楽ではない本物の反骨精神を持った音楽がようやく出てきて,代表格が矢沢永吉や宇崎竜童などのロックだという思い込みがあったせいか,コマーシャリズムの波に抵抗なく乗り,NHKに先生と呼ばれている姿が意外で,やや失望したのを覚えています。

portugal w360h640日本の田舎の民謡や世界の多様な文化に根ざした音楽に興味を抱いて,現地に滞在して本物の音楽に取り組んでいる日本人も実はたくさんいるはずですが,そういう人の関心は特定の土地文化に限られているか,残念ながら本人の音楽能力がひとつ及ばないケースがほとんどのような気がするのです。

異なった国の異なった文化の,長年の歴史の中で培われてきた民俗音楽をほぼ完璧に演奏しても,その文化に敬意を示す表示にはなりますが,現地人の歌や演奏と同レベルで本当に受け入れられるか疑問です・・・議論の余地はありますが。

昔,五木ひろしさんだったか,北島三郎さんだったか,トルコやアラブ都市で日本の演歌を歌って非常に喜ばれたという記事を目にした記憶があります。南ドイツのバイエルン地方でヨーデル歌手として成功している日本人もいます。フラメンコ音楽や舞踏をスペインで長年やっている人たちにも会ったことがありますが,今思えば話を聞く機会を得られなかったのが残念です。

ところで,松田美緒さんは何とギリシャや南米にも住んで現地の音楽の中に入っていったとか,その後知りました。そしてさらに,日本の地方を廻り,現地に伝わる音楽の中で,自分の心に響く歌をさがして見つけたとか。

これはとてもすごいことで,無意識に意識している自分のアイデンティティーにぴったり合う歌があると,心の中の精確なセンサーの針が大きく揺れているということです。そして,その,松田美緒さんのアイデンティティーというのは(本人は日本人といっているようですが)日本民族を超えた,昔の土着的な人間はみんな心の中に備えていた,つまり現代人,特に町人間は失いつつある,人間そのもののアイデンティティーのような気がするのです。

だから,美緒さんは世界中の素朴な人たちの気持ちが見えて,彼女が語りかけると,応えが返ってくるのです。それしか考えられないし,ほかに説明の仕様がありません。

イスラム国の「歌う女」

話がそれますが,今世界を恐怖に陥れているイスラム国がまだ知られ渡っていない数年前,「歌う女」という映画を(テレビで)見たことがあります。イスラム国では音楽は禁じられ,ひとりで歌うこともイスラム国の反逆的な行為ということで罰せられるそうです。その映画は現実に基づいて作られたようですが,「歌う女」は投獄された汚い部屋で辱められても歌うことを止めない女性でした。

歌うこととは何なのだろうか,と見終わってから考えにふけったのを覚えています。
その,歌う,ということを新たに思い起こさせたのが,この人,松田美緒さんだったのです。

フランスで初めて聴いたシャンソン

僕は日本でまじめにシャンソンを聴いたことはなく,テレビなどでときどき流れてきてもあまり興味は沸きませんでした。
ところが70年代にパリで初めて聴いたひとりの歌手の歌はショックでした。
これがシャンソンか,これがシャンソンなんだ。
じゃぁ日本で流れていたシャンソンは何だったのか,同じ歌なのに。そんな印象でした。歌い手の優れた歌唱能力で,形や音をいくら完璧に整えても,同じ歌なのに全く別のモノが心の中に入って来るのです。少なくとも僕の場合はそうでした。

日本で聴いていた,やさしく柔らかく,華やかな印象のシャンソンがあまり好きではなかったせいもありますが,パリで初めてこんなシャンソンがあることを知ったのです。エディット・ピアフ。

フランス人から初めて聴いたフランス人の歌

多くの国々には,同年代なら誰でも知っている歌がいくつか必ずあり,誰かが口ずさむと合唱になることがよくあります。
僕もまだ若かった70年代にフランスの田舎のユースに泊まったとき,季節はずれのせいか,到着したときはひとりでしたが時期にフランス人が数人加わりました。管理人から「暖房はないから寒かったから裏の林から木でも切って」と斧を渡されたので切った木材を中庭で燃やしていたら,フランス人たちが集まってきて歌を歌い始めました。
お互い知らない同士なのに,「次は何にしようか,あっ,これがいい,よしっ」と言った感じで(理解できないフランス語なので,感じですが)次から次に歌うのです。ジョルジュ・ムスタキとブラッサンスの歌は気づきましたが後は分からず。それよりも,旅先で初めて会った同国・同年代の人たちが一緒に歌える歌がこんなにあるんだ,ととても羨ましく思えました。

singing bird w640もちろんジャンルは全く別ですが,ソウルという意味では松田美緒さんの歌も同じような気がします。
専門の音楽家が彼女の歌唱力をどのように評価するか分かりませんし,正直言って上手だなとは思っても,他のプロの歌手たちとの比較を行なう能力は僕にはありません。

ただ,ヒット曲でも出して有名になろうと思えば,美緒さんならわりとたやすくできるような気もします(ひょっとしてすでに広く知られた人かも知れませんが)。
でも,華やかなステージやテレビに出て欲しくはないし,夜の飲み屋街のスピーカーから流れて来るのも勘弁してほしい,と思います。

ひとりひとりの表情が見える生の素朴な人たちが最高の観客であることは松田美緒さん自身が最もよく知っているはずです。

彼女がどのような人なのかインターネットで調べてみましたが,何も見つかりませんでした。自分のプライベートなことは出さない人なのかも知れません。そうだとしたら,それも尊敬に十分値する美緒さんの人間性です。

買い被りかも知れませんが,松田美緒さんは日本が誇る稀有な存在です。

それとも,他にも,いろんなところに彼女のような人がいるとしたら,現代の若い人たちも全く捨てたもんじゃないどころか,戦中戦後派を大きく超えた希望の賜物です。