CeBIT の終焉

cebit logo wh550界最大のコンピューター見本市としてだけではなく,ドイツの見本市としても最大規模を誇っていたCeBITが何故?,という印象は隠せない。
2019年度のCeBITの展示マーケティングが進められている最中,寝耳に水の突然のキャンセル宣言。
1980年代末から1990年代の初めにかけて,出展した企業はもちろん,展示会を訪れた日本の人たちはおそらく信じられないのではないでしょうか。
通常の数倍以上の法外なホテルの宿泊料金,ハノーファー近辺に宿泊できず遠距離から通う列車は満席,車は渋滞,会場は身動きできないほどの人出,などなど。

もともと,当時は東ドイツとの国境近くに位置していたハノーファーという都市は,海外での知名度や大きさでは,ミュンヘン,フランクフルト,ハンブルク,ケルンなどほどではないにしろ,西ドイツのメッセというとまずハノーファーが頭に浮かぶほど,見本市都市として広く知れ渡っていたように思います。

ドイツ見本市協会は戦後まもない時期からコンピューター関連の産業見本市に力を入れていました。1970年代からハノーファー産業見本市の一部門だったコンピューター関連部門を独立させる準備を進め,ディジタル時代の幕開けを先取りするかのように,1986年3月12日,CeBIT (当初は "Centrum der Büro- und Informationstechnik",その後 "Centrum für Büroautomation, Informationstechnologie und Telekommunikation" に変更) が開催します。

1985年に世界最年少テニスチャンピオンになったボーリス・ベッカーのメッセ訪問,また Commodore が Amiga を発表するなど,パーソナルコンピューター関連の世界中の主要なハード・ソフト・メーカーが出展する専門見本市として大きな話題を呼びましたが,同時に,奇しくも世界のPC市場で成功していた貴重なドイツ人,コンピューター会社 "Nixdorf" の創業者,ハインツ・ニックスドルフが見本市会場で心筋梗塞で倒れて死亡するなど,出展企業2000社,来場者33万人の成功を手放しでは喜べない第一回 CeBIT でもありました。

その数年後には東西ドイツ統合。以来,規模は上下に揺れながらも,7万平米の会場に,最盛期は出展者7000社以上,来場者も80万人以上という年もありました。

CeBIT の閉鎖については,さまざまな意見があるようなので,門外漢の筆者には何とも言いようがありません。
「世界最大のコンピュータ専門見本市というのは主催者のPRで,当時からコンピュータ関連は専門化・分類化され,他の多くの著名な電気電子関連見本市の部門のほうが企業取引を望む出展社にとってはメリットが大きい」
「来場者の3分の2は,最新のコンピュータ関連情報への関心は高くてもビジネス的には魅力が少ない一般人。」
「年を追うごとに出展社はブースの広さを小さくしているのに,出展料や入場料は高くなり,出展社にとっても来場者にとっても,割に合わなくなっていた」

それでも,1995年の CeBIT では,Windows95 の発表のためにビル・ゲイツが講演するなど,まだコンピューター専門フェアとしては健在でしたが,その後は主に出展社にとって急激に魅力の薄い見本市になっていったようです。

いずれにしても,惨めな最後を迎える前に自殺,という記事も見られるようにCeBIT閉鎖の詳細理由は定かではありませんが,来年2019年の出展社数および予約ブースが予定規模に達せず,将来的にも希望が薄い,ということで,とりあえずキャンセルしたのだと思います。

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