うなのか,社会の本質的な部分はなかなか変わらないものなんだなぁと改めて考えさせる記事を目にしました。

「人を助けず、立ち去れ」が正解になる日本社会(御田寺 圭)
PRESIDENT Online

tokyo metro 1 w35030年以上も前の話ですが,日本に短期旅行したドイツ人の若い女性が憤慨していました。
「東京の電車内で妊婦が幼い子どもを胸に抱いて立っているのに誰も席を譲ろうとしない光景にびっくりしたわ。みんな見てみないふり。ほんとに頭に来たからおもわず英語で,若いあなたたち,誰か立ちなさい!と叫んだら,やっとひとり立った,まったく。」
実は似たような日本旅行の土産話はときどき聞くのですが,筆者はおそるおそる「日本人は別に無視しているわけではなく,譲りたいと思っても自分だけサッと行う勇気が少し欠けているのです」。するといつもの返事が返ってきます。「そんなことに勇気が要るの?日本人は」

「残念ながら,ひとりで行うとなると,勇気が必要なのです。ボクも。その代わり,信頼できるリーダーから勇気を与えられると日本人は献身的にきちんと動きますよ。たとえば道で誰かが倒れたとします。何もしない野次馬の中にひとりリーダー的な素養を備えた人がいたとします。彼が周りの人たちに叫びます。誰か,医師,看護士,または救急などを学んだ人はいますか? はい,そこの若いふたり,ここに来て手伝ってください。はい,そこの方,前の店に行って水をもらってきてください。あなたは手にしているスマホで救急車を呼んでください。あなたはそこの交通を遮断してください。多くの日本人は,信頼されて適切な指示をもらうと,真面目に,機敏に,そして結構器用に動くのです。それまでは,見てみないふりをするのが大勢だったので自分もその中から出たくなかったわけですが,助けようという波が大勢になると,自分も一気に勇気と力を得て,その中に入るのです。」

「へえ~え !?」

また,別例ですが,銀座でトラックから拡声器を用いて叫び続ける愛国党や日本の国旗にも外国人の日本訪問者は驚きます。実は日本にはナショナリストが溢れているのではないかと。

それに対しても曖昧な答えしかできません。「まぁ少ないとはいえないかもしれないけれども,銀座のアレはもう日常風景のようなもんで,みんな無視しているから全く影響はないんです」
それにしても,つい先日も同じような印象を抱いていたドイツ人に会ったので,銀座の彼らの予約場所は50年以上も変わっていないのですね。確かに不思議といえば不思議です。

ところで上記の記事には,筆者は知らないながらも過去にたびたび読んだ日本の特殊な社会状況についても記されていました。

我が子を大事にするあまりか,学校の教育に対してことごとく口を出す母親たち。それに受身一心の学校側。
個人的にはあまり賛同したくない石原慎太郎氏が,いつだったか「そんな母親たちのわがままな要求はガンと突き飛ばせばいいんだ」というような意見を述べていたときは,「そうだ!」と思った記憶があります。
自戒も含め,日本や日本人の間には,かかりあわない方がいいという空気が若干強い感じがします。

御田寺さんが指摘・警告されているように,多少づつでも変わってゆく方法があるのか,自問は続きます。それを国民性だからと思うことなく・・・

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