ロック音楽

1960年代。僕はプレスリーやビートルズなどを代表とするロック音楽に夢中になるほどのファンではなかったけれども,海外の国々を廻ってひとつ気づいたことがある。

アメリカを中心としたポップスを自由に聴いて育った世代の人たちとは何となく抵抗なく会話ができるけれども,ポップスが流行っていない,または抑えられているような国の人たちとはなぜか感性や価値感が異なるというか,分かり合うのが大変なような感覚的な壁を感じてしまうということ。
西洋のポップスの中でも代表格はロック。やはりロックは特別なんだなぁと改めて納得する。じゃぁ何が特別なんだ。なんでもありの自由。権力がなんだ,金持ちがなんだ,の一般的な価値感の否定というか,静かな無視。正義であれ,愛国心であれ,道徳であれ,規律であれ,良心であれ,とにかく良いことでも,強制されたり抑えつけられたりすると徹底的に反発したくなる心情かもしれない。
いずれにしても,僕らの世代の多くは,音楽の好みは異なってもウッドストックを節目に,多かれ少なかれロックに染まっていると思う。
ただ,ネオナチ・コンサートの音楽もハードロックそのものなんだけれども,その辺りは,ロック専門家に任すとしよう。

ベルリンという東ドイツの中の孤島にしても,東ベルリンはれっきとした1国家の首都だけれども,西ベルリンはだんだん意味を成さないお荷物になっていたんじゃないかという気がしないでもない。
シーメンスを始めとする数社の大企業は(国に頼まれてか)ベルリンに拠点を置いているけれども,250万の人口を賄える力はとても無く,経済的には完全に西ドイツからの援助金に頼っていた西ベルリンの都市経営。30年経た今でも赤字という点ではさほど変わっていないのだから,当時は人口も都市経済も規模は小さかったとはいえ,西側陣営には大きな経済負担だっただろうと察する。

それにまた,失礼ながら,まともな人間は西ベルリンに移住して来ない。
まず,徴兵を逃れる若者たち。ドイツ国籍の男性は18才になると徴兵義務が課されるけれども,西ベルリン居住者であれば免れることができるので,多くの若者たちが,ベルリンの大学生として,または単なる住民として西ベルリンにやって来た。西ベルリン転居で兵役を逃れた若者は1990年までで3万-5万人と云われている。住民票が西ベルリンであればいいので,僕が住んでいたアパートにも実際は住んでいない住民が5人ほどいたようだった。
そのほか,ボヘミアン,芸術家,10年以上大学に席を置いた万年大学生,西欧諸国に向かう予定がなぜか留まってしまった東欧諸国からの政治経済難民,トルコ人,アパートの不法占拠者など。彼らは西ベルリンに転居して,自由で快適な生活を送っている。

また,ベルリンには,エリッヒ・ケストナーの "Pünktchen und Anton" などに出て来る,迷路のように広く天井の高い古建築のアパートも多く,家賃も安い。毎日薄暗い冬は寒いけれども,洋服ダンスのように大きい,タイル張り煉瓦造りの暖房に黒炭を入れて暖めるので,室内の温度は自然な上がり方で心地良い。外は,煙突から出る排ガスで肺を痛めそうだけれども。

昔からのベルリンの住民で,悪夢の大戦時を生き延びた裕福層は,ヴァンゼー地区の湖と森に囲まれた自然の中の一軒家に住み,ときどきクーダム(選帝侯通り)に出かけてショッピングを楽しんだ後,カフェ・ケーニッヒでお茶とおしゃべりをする生活なので,結構満足しているようだ。
クロイツベルクを始めとする他の地区は,質素だけれども貧しいというほどでもない。何よりも,自由はあるけれども,西ドイツの資本主義社会のような忙殺されるストレスはない。
こんなところだろうか。

ベルリン封鎖(1948年6月-1949年5月)やベルリンの壁の建設(1961年)後の時期は,どんなに金がかかっても自由主義陣営の砦として絶対に西ベルリンをゴーストタウンにしてはならない,と西ドイツだけではなく,アメリカを含む西側陣営が考えていたことは間違いない。
だから,僕らのような非生産的・反体制的なヒッピー風の住人が多くても,住んでくれるだけでも有り難いと思い,容認してきた。
それが,1980年代になると,東西冷戦の危機感もやや緩んできて,ベルリンの存在意義や出費を考慮すると,だんだん定かではなくなってきたのではなかったのか,などと勝手に察してしまう。

波が変わった大きな変化はゴルバチョフのペレストロイカとグラスノスチ。波を変えた大きなパワーはロック音楽。

ブルース・スプリングスティーンが1983年ごろに開いたコンサート場は,数百人も入れば一杯になる,音響も良くない,映画館を改装したライブ劇場だったけれども,5年後の東ベルリンのコンサートには7万人が詰め掛けた。
しかし,西のロックミュージシャンだけではなく,東にもニーナ・ハーゲンなど,強烈なパワーミュージシャンも結構いた。

僕は東ベルリンには何回も行ったけれども,裏通り,それも陽が暮れたころの裏通りには西と同じ装いのパンクが集まっていて,建物の中からはパンクロック風の音楽が聞こえていた。
と同時に,ネオナチ風の若者が群がっている場所もいくどか通り過ぎた。
初めて行ったのは1980年ごろだから,1970年代にもネオナチというかスキンヘッドのような極右ナショナリストが居た可能性は十分ある。
また,その後になって,東ドイツにも当時,環境保護や人権保護の活動グループなどもあったということを知った。
つまり,典型的な社会主義国で何も自由に表現できない,するすべも関心もない人たちと思われていたけれども,1970年以降,徐々にいろんな考えを持った人たちが動き出してもいた,ということのような気がする。

ロックが時代を変える大きなパワーを有し,それは善,という確信はないけれども,こと壁の崩壊に関してはロック音楽が果たした「破壊のエネルギー」は疑う余地はない。

西ベルリンには,クラシック音楽や演劇・寄席用の立派なホールはいくつかあったけれども,ロック・ジャズ・フォーク・ポップスなどには質素な小屋クラブや体育館のようなホールだけだった。
そして夏季の野外コンサートといえば西側の森の中にあるローマ円形劇場風のヴァルトビューネ。
それが,いつからか知らないけれども,旧帝国議事堂前の共和国広場で開かれるようになった。ブランデンブルク門の隣りにある旧帝国議事堂の後ろは国境になっているシュプレー運河。つまり,ロック音楽のような大音響だと東ベルリン側にも聞こえる。そうなると,ミュージシャンたちも隠れた観客を意識した演奏や語り口になってきてもおかしくない。
ただ,ロックパワーの主人公はアメリカ・英国のミュージシャンが多く,ウド・リンデンベルクなどドイツのミュージシャンの影は薄かったような気がする。
いずれにしても,5万人以上の観客を動員する大型コンサートが80年代中旬の夏季は毎年続いた。

そして都市ベルリンの750年周年だった1987年。700周年のときはナチス・レジームだった。
ドイツ民主共和国(東ドイツ)にとっては首都の750年祭。だから社会主義国家の団結を鼓舞する好機会として,数年前から大規模な祭り年のための準備を重ねてきたのだけれども,結果的にみると裏目に出たようだ。
同時に,西ベルリンでも750年周年の祝祭イベントは並んでいるけれども,ドイツの首都ではないせいか,盛り上がりがひとつ足りなかったような気もする。

しかし,共和国広場で催された,6月6日-8日の3日間連続コンサートは,壁の崩壊を示唆する決定的な締めとなった。
アメリカの管理区域の西ベルリン・ラジオ放送局RIASがコンサートの生中継をすることになったことも大きい。聞くところによると,通常はミュージシャンは許可しないらしい。
いずれにしても,初日の舞台に立ったデビッド・ボウイーは語った。
「ぼくはきのう向こう側で多くの若者たちと話してきた。たぶん,何人かは今日のコンサートに来てくれると思う。」
デビッド・ボウイー,ユーリズミックス,ジェネシスなど,英国イニシアチブのコンサートは,ボウイーのひとことで多くの東の若者たちをウンター・デン・リンデン通り(ブランデンブルク門を境界とする東ベルリン側の通り)に引き寄せた。

実は通常,東ベルリンの人たちはこの辺りには近づかない。だから,ブランデンブルク門の前の幅広い通りは,いつ行ってもガランとしていた。歩いているのはいつも西側の観光客だけ。それでも10人もいれば多いほうだ。別に禁止されているわけではないわけだから,東ベルリン人は国境警察が多いので避けていたのだろう。

それが今日は,それも夜が更けてから多くの若者たちが集まってきた。通常は,東ドイツ側との約束で,西ベルリン側の野外コンサートの音は東にまでは聞こえないようにする,となっているらしいが,なぜか主催者側はコンサートが始まってからさらに多くのスピーカーを持ってきた。
ユーリズミックスによると,あんなに大きな音を出したのは初めて,だという。警察とぶつかり合いながらも連日コンサートに押し寄せ,見えないけれどもタダ聞きでノッた聴衆が,警察に屈するどころか「壁を壊せ」と叫び始めたのが最終日だったそうだ。
僕はそれまではいくども共和国広場で催されるコンサートには足を運んだけれども,1987年にはすでに西ベルリンを離れていたので,だったそうだ,としかいえない。

2017年,レーガン大統領もベルリンのブランデンブルク門で「ゴルバチョフ,壁を倒しなさい」という演説を行って話題になったけれども,若者たちが壁崩壊に向かう自信を付ける大きなきっかけになったのはロック音楽であったことは間違いない。

しかし,同時にこれも付き加えて置かなければならない。定期的な集会を開いていた東西ベルリンの約30名のスキンヘッドが,東ベルリンの教会で開かれていたポップスのコンサート会場を突然襲い掛かり,観客に暴力を加えた傷害事件が起こったのも1987年だった。

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