15分間の完璧な講座

ei rokusuke 120年ほど前だったか,それとももっと前だったか,日本に一時帰国した折,その人が,場違いのようなNHK教育テレビの大学通信講座の番組に「講師」として出てきたので聴くことにしました。
未だに忘れません。15分間。用意した紙を見ながらゆっくり話す普通の通信講座の先生とは全く異なり,カメラをまっすぐ正面に(つまり僕自身の顔を)見据えたまま,視線もほとんど動かすことのない15分間。いつもの早口で,しかし一言一言がはっきりと理解できる,分かりやすい言葉で,流暢に途切れることなく話し続け,15分間の数秒前にピタリと終了したのです。定かではありませんが,編集したような感じはなく,一発で録画した印象でした。

引き込まれるように釘付けになって聞いた15分の講座のテーマは「老人の介護」だったと記憶していますが,老人問題と現在の政策などについて,ひとつひとつ分かりやすく説明したあと「私はこうこう思います」とまたひとつひとつについて自分の気持ちを簡潔に語るのです。あの,特徴のあるメリハリのある早口で。
あれは何だったのでしょうか。僕は日本に住んでいないので知りませんが,トップ政治家の論よりもはるかに説得力のある,あのような正論はぜひ広く知られてほしいなぁと思いました。やはり,日本の隅から隅まで何度も足を運び,声を出さない,出せない,表に出ることのない庶民の無言の訴えに耳を傾けてきた人だからこそ,という印象を強く受けました。

白い葉書のスケッチと詩

83歳で亡くなられたというのを聞いて,あれ,そんなに若かったのか,と思いました。作詞やラジオ番組で多忙な有名人は,あの頃はまだ40才にもなっていなかったのか,です。あの頃。僕は役立たずで首になりましたが,その人を含み,数人の有名なタレントのマネージメントをしているエージェンシーは六本木の狭いマンション事務所でした。テレビよりもラジオを好むその「先生」は,いつも日本中を歩き回っているとのことでお会いする機会はありませんでした。でも,僕の亡き父は何度か面会したようです。「東京の作家ちいう人が来たどん,下駄で来たど,下駄で」と言っていたのを覚えています。父に置いていった本は確か,職人の本だったと思いますが,地方の面白い名物人間のような人たちをルポしていたと聞いています。
それらに大した興味も沸かなかった僕でも,これは素晴らしい,と思ったのは訪問後の礼状のような葉書です。無地の葉書に,手書きの簡単なスケッチと1行の言葉を添えてひとりひとりに送るのです。事務所ではいつも十分な白い葉書を絶やしてはならなかったと記憶しています。もし,この作詞家が日本中で会った人たちに,もし,ひとりひとりに異なった手書きの詩とスケッチを送っていたとしたら,日本の隅々で貴重な宝を人の心に残したことになります。

東京の下町人の大きな個性と才

お会いしたことはなく,ラジオ番組も30-40年前に数回ほど聴いた記憶しかないので,どのような人柄なのか声や本などから想像するしかありませんが,都会の東京人とも有名タレントとも明らかに違う,どこのカテゴリーに含めることもできない,とても不思議な,そして強烈な個性の持ち主であったことは確かだと思います。
保守的な地方の名士にも門前払いを受けることなく,道端の無名のお婆さんとも一緒に笑え,ひょっとするとヤクザとも普通に会話できるような,下駄を履いた東京の下町人は,よく云われるように確かに皇太子の語り口と似ていました。これからは,永さん,永六輔さんの語り口を偲びたいときは,天皇の言葉に耳を傾けるようになるかも知れません。

遠くへ行きたい

都会と異なり,テレビ民放放送がほとんどなかった地方ではやはりNHK中心。「夢で逢いましょう」などは子どもが見ても,親も安心していられる番組だったと思います。そしてウン十年経って,ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」は聞きたくない嫌な歌だったと,母が言うのです。身近にいる人がそんな風に去っていくのが耐えられない,と。そういえば僕も小さい頃から遠くに行きたかった。まぁ,でも,こんどお袋に同じ愚痴を言われたら,「誰かとどこかで」を求めて遠くに行きたいんだよ,と言い返そうと思っています。

プログラム提供元: CComment