ベルリンの壁の崩壊を一挙に早めたブルース・スプリングスティーン

bruce springsteen東西ベルリンの壁崩壊から26年,東西ドイツ統一から25年,いったい東ドイツの町々はどのような雰囲気だったのか,その頃の人々の生活については,当時はゆっくりと走る列車の窓からの景色や人影から想像するしかありませんでした。
東ベルリンの人々の様子を見ながら考えていたのは,口を開くことはもちろん,笑顔もなく誰にも気を許してはならない,という閉じられた世界に住んでいる人たちだろうということでした。つたないドイツ語で時々話しかけても,まず避けられてしまいます。しかしいつの頃からか,街の裏通りでパンクっぽい若者たちの数人単位のグループをよく見るようになり,じゃどこかでクラブでもあるのかなと考えましたが,あるはずもありません。レコード屋に入っても全く静か,厳かなクラシック音楽を主とした雰囲気しかありません。しかし,知らないだけで実際は若者たちは騒ぎ始めていたようです。
西ベルリンには多くの大物ミュージシャンが好んでやって来ましたが,いつの頃からかベルリンの壁沿いにある旧国会議事堂の広場で野外コンサートを開くようになります。マイケル・ジャクソン,フィル・コリンズ,デヴィッド・ボーウィ,ピンク・フロイドなどの壁沿いコンサートの日は,反対側の東の壁沿いに若者たちが集まり,見えないミュージシャンと聞こえるロック音楽を楽しんでいました。

DDR史上最大のイベントとなった東ドイツの青少年団体の企画

当時の東ドイツには,社会党のFDJ自由ドイツ青年団(Freie Deutsche Jugend)と呼ばれる,東ドイツ政府も支援する団体がありました。このFDJは,スポーツや休暇旅行などをはじめとするあらゆる若者の活動を組織化し,ディスコやコンサートなども企画していました。14才から25才までの青少年が対象ですが,80年代初旬の会員は東ドイツの若者の75%に相当する200万人以上が会員だったといいます。そして,80年代の中旬にFDJが企画した集まりが東ドイツ政府の反対を受け,暴動にまで発展する事件が起こります。それをなだめる意味も含め,東ドイツ政府は,FDJが企画したブルース・スプリングスティーンのコンサートを認めます。メディアによると,東ドイツ政府は,ブルース・スプリングスティーンが労働者階級であること,アメリカの資本主義を批判する音楽を歌っているとの情報などから認めたようです。西ベルリンに1983年,初めてだったか2度目にやって来たときは数百人も入ればいっぱいになる映画館のような小ライブホールで演奏していたブルース・スプリングスティーンはこの頃絶好調の人気。1988年7月に催された東ベルリンの野外コンサートに東ドイツ全国から30万人が押し寄せ,テレビ放映を入れると数百万人の若者が視聴するという東ドイツ史上最大のイベントになるとは東ドイツ政府は知るよしもありません。
ただ,コンサート会場としては,暴動を恐れてか国境から離れた Weissensee が指定されました。

「ぼくはどこの政府の代表でもないよ。今日はただ,いつか障壁が取り払われてみんなが一緒に楽しめることを願いながらロックンロールをやるために来たんだ」とドイツ語で挨拶して4時間のコンサートの幕が落とされます。
今でもブルース・スプリングスティーンのコンサートを聞いた若者たちが,あのとき何かがぼくの中で変わった,と言うのを,専門家は「東ドイツの若者たちは精神的にも物質的にもあらゆる面でもっともっと欲しいと思い始めた」と分析しているそうです。そして16ヵ月後に壁が崩壊します。
もちろん,ローリング・ストーンズでも同じような効果があったと思われます。しかし,ストーンズは莫大なハードカレンシーでのギャラを要求したので実現せず,東ドイツ人がドイツマルクでチケットを購入できるようになった1990年にコンサートを開いています。
ベルリンの壁沿いのステージで「ゴルバチョフ,壁を壊しなさい」と演説したレーガン大統領の言葉が大きなきっかけを作ったという声も多いですが,若者の欲望の声を爆発させた仕掛け人の代表格はボスだった,そう思っています。

プログラム提供元: CComment