davidbowie heroes灰色が似合う西ベルリン。人知れず限りなく沈む危険性を伴いながらも,世俗的な意識が徐々に剥がれ,あらゆるタイプの人たちを自由にしてくれる,生きた廃墟の都会が西ベルリンでもあった。今,懐かしく,そんな気がする。

デヴィッド・ボウイもそんな西ベルリンに居心地の良さを見出したことは間違いない。匿名で住めることや生活費の安さも魅力だったようだが,「ベルリン人は英国のミュージシャンなどには興味ないよ」とも言っている。奥さんは,「私たちが住んでいたのは,移民,特にトルコ人が多い地区で生活費も安く,いつも地元の人たちと同じ食事をしていたわ」と言っている。スランプを抜ける期間,時の流れにまかせ,ただぶらぶらしていたのか,新たな創作の糸口を探し続けていたのか知る由もないけれども,「ベルリンで知り合ったのは,画家,ミュージシャン,俳優,演劇作家など,ほとんどはアーティストだった」と言うボウイ。

デヴィッド・ボウイ

ベルリンにいると自分がどこにいるのか分からなくなる。でも,ベルリンにいると自分を見つけることができる。

 

ハンザ・スタジオからベルリンの文化レベルを世界に発信

「ハンザ・スタジオでミックスしたテープ,取りに行ってくれる?」,ロンドンに住む友人のミュージシャンに頼まれて,聞いたこともない,ベルリンの壁に近いスタジオを初めて訪れて以来,ハンザ・スタジオにまつわるさまざまなストーリーを見聞きしてきた,今思えば何もかも遠い遠い,本当に見たのかどうかも定かではなくなる情景だ。

そのときの友人の説明によると,ハンザ・スタジオとミキシング・エンジニアによって創られるサウンドは,ロンドンでも得られない特徴あるものだということだった。以来,ハンザ・スタジオと聞くと気になって注目してみると,英国を初めとする多くの海外の有名ミュージシャンがハンザ・スタジオでレコーディングしているのを知った。
もちろんぼくのような門外漢には違いなど分からない。でも,優れたスタジオにしても,ハンザ・スタジオの知名度にデヴィッド・ボウイが最も大きく貢献したのは事実のようだ。

その頃,20世紀初頭には粋で斬新な文化を世界に発信していた往年のベルリンの姿など跡形もなく,西欧の自由主義・資本主義を守る砦(人質?)として政治的に保護されているだけの都会に高度な文化があるとは誰も思っていなかった。カラヤン率いるベルリンフィルがかろうじてベルリン文化を支えている,そんな感じだっただろうか。
もちろん西ベルリンで活動しているアーティストも多く,また話題性を狙ってか,世界の大物アーティストも度々やって来たけれども,ベルリン生まれの文化は戦争と共に消滅していた。近い将来,東西ベルリン,東西ドイツが統一されることを本気で信じている人など全然いなかった仮初めの都会だったので,文化の発展に尽力する公私機関も少ない。

まさか,デヴィッド・ボウイが,ベルリン文化発展のために,などと思っていたはずはないけれども,数年間の西ベルリン滞在の間に最優秀作といわれる3枚のアルバムをハンザ・スタジオで創作し,それがデヴィッド・ボウイのその後のキャリアと人生を決定付ける影響を与えただけではなく,ロンドンではなく西ベルリン発のポップス文化を世界に広めたことは,ボウイの意図ではなかったとしても貢献度はとても高い。ブライアン・イノも一緒だったというから,ジャンルを超えたボウイの音楽域を感じる。
Berlin Trilogy: "Low", "Heroes", "Lodger"

ハンザ・スタジオはほんとにまさに壁沿いに建っている古い大きな建物。レコーディング中,毎日デヴィッド・ボウイは窓からベルリンの壁と東ベルリンに続く中間地帯を眺めていた。そして,いつも監視塔の下で落ち合うティーンズのカップルに気がつき,なぜわざわざ監視塔の下で愛し合うのかひとりで頭をめぐらしたという。そこで,自然と Heroes は生まれたのだろう。
デヴィッド・ボウイのファンだった弟が1980年代の初めごろ西ベルリンに来た折,クロイツベルクに行きたいというので,クロイツベルクを知っているのかと少し驚いた。クロイツベルクのアングラ文化を日本にまで広めたのもデヴィッド・ボウイなしには考えられない。

ぼくもその後,壁がなくなった後の都会ベルリンに行ったのは1回きり,1990年代の終わりだ。
見渡しても歩いても無機質な光景が続くだけの街の中で「ぼくの居場所はここにはない,ぼくを受け入れてくれたベルリンはもうない」という,はっきりとした意識を持ち,ややノスタルジックな寂しい感じが過ぎ去ると無感覚になってベルリンを後にしたのを覚えている。デヴィッド・ボウイも1990年代の終わりに久しぶりにベルリンに行ったという記事は興味をそそった。
そしてさらに,ボウイがメランコリックに語った「久しぶりに行ったベルリンで,自分はどこにいるんだろう,本当に自分がいたベルリンだろうかと思った。昔が戻ることはない。もうベルリンに来ることもないと思う」という気持ちはとてもよく分かる気がした,ボウイの音楽との接点はほとんどないけれども。
アーティストとしての彼の残りの人生に影響を与え続けた特異な西ベルリンも天に消え,無と自由が同居していた西ベルリンから創造力を得たボウイも天に昇った。

ところで昨晩,テレビで流れていた,デヴィッド・ボウイが亡くなる3日前にリリースされたという最後のアルバムのクリップ。包帯を目の周りに巻き,白い包帯の目の部分は黒い印が付き,ベッドに横たわり,死に向かう道筋で暗澹とした音楽を歌う,最後の一瞬までの生涯アーティストの姿があった。圧巻

合掌

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