1992年8月24日の夜,ベトナム人が多く住むロストック市の住居アパート群に炎が上がり,窓から助けを呼ぶベトナム人たちや燃え上がる建物の様子がテレビで実況中継(!)された。
私も見た。なぜ見ることができたのか? 別に偶然ではない。いくつかのテレビ局がニュース速報を流していたのでチャンネルを探してみたのだ。すると,なんと暴動はやり放題。えっ! 事件発生から時間が経っているはずなのに無法状態。いまだに火炎瓶を建物に投げ込んでいる暴徒が何人もいるのに,数百人ほど(後日のレポートでは3千人)の野次馬は眺めているだけ,さらに何も手をくださない警察や報道陣なども取り囲んでいるという異常な光景。その間にも,暴徒は火炎瓶を投げ込むだけではなく,中に入ってベトナム人たちに暴力を振るおうとしている。

警察の無力,報道陣の無知,野次馬の無神経などの光景を前に,開いた口がふさがらない。ここは,中近東諸国などではない法治国家ドイツ。
破壊や妨害という行為に対しては,やむをえない抗議の表現として認める人がいても不思議ではないけれども,人間を襲って暴力を加える行為は犯罪であることに間違いない。また,現場にいながら見物するだけの行為も,自分への被害が予想されないのであれば,良心不在と非難されても当然だろう。

乳飲み子や女性を含む約100人のベトナム人が住んでいる建物は,投げ込まれた火炎瓶による放火で煙に覆われた。偶然にもドイツ第二放送ZDFの報道カメラチームが建物内でベトナム人にインタビューをしているときだったので,彼らもベトナム人と共に命に危険が迫りながらの実況中継になってしまった。暴徒は「お前たちを全員やっつけてやる!」と叫びながら押し入って来るので,ベトナム人は建物の上階に逃げてゆく。途中の非常口も開かず,最終的に屋上に出られたのは11時半ごろ。暴動がエスカレートし始めたのは8時ごろ。なんと3時間以上も経った後だ。
1000人規模の警察によって,建物の全住民のベトナム人は危機一髪で救われた。バスで住民を避難させた後,暴徒は今度は警察を襲い始める。事件後のレポートでは,暴徒の総数は1000-1200人,また3000人の一般市民の一部も手を貸していたという。傷害を負った警察は65名。
実は,暴動が始まったのは22日の午後。約2千人の市民が難民専用住居の前で難民受入れ反対の集会を開いていたが,しばらくして少数の若者が建物に道路の石を投げ始めた。30名ほどの私服警察が現場にいたのだけれども,200名ほどの若者に攻撃され,逃げ帰ることに。そのような熱い状況の翌々日の24日,暴動は収まったとみた警察は引き上げた。それを好機に暴徒はさらにエスカレート。再び警察が来たが人数が少なかったために暴徒からの逆攻撃を恐れて萎縮して,何も行わないまま援軍を待っている時間に,火炎瓶を用いたベトナム人狩りが始まった。

これは突発事故でも,例外的な事件でもない。外国人に対する東ドイツでの暴力は,東西ドイツ再統一直後から始まっている。ドイツ民主共和国時代の旧東ドイツ国内における,外国人に対する暴力については,犯罪は無いことになっていた国なので,なかなか真相は掴めない。

1991年の初めから,ベトナム人を筆頭に,外国人や難民に対する暴力事件や住居の放火が数多く起きていた。嫌がらせとか,殴るなどを超えた,ナイフやチェーンなどを用いた殺意ある行為だったので,なぜ徹底して探し出して長年留置の裁きを与えられないのか,私も理解に苦しんでいた。

また,ネオナチが多いスキンヘッドは東独時代にもいたことは,私も実際に見ていたことがあるので確かだ。
ドレースデンのビアガーデンで,すぐ近くにいたスキンヘッド風の若者たちがときどき „Sieg Heil !“ と叫んでいた。ナチス時代の,ヒットラー総統への忠誠を認め合うような挨拶なので,ナチス挨拶とも呼ばれている。あとでドイツ人の友人に話すと,「ええっ!」と仰天していた。

しかし,実際のところ,最も理解に苦しむのは,排他的な社会状況でもスキンヘッドでもない。重症を負わせるほどの暴力行為が目の前で起こっているのに,被害者が「外」の人間であれば,黙視を超えて容認している一般市民の感覚だ。
ちょっと良くない比喩だけれども,犬が閉じ込められた小屋が燃えていたら,「若いあんたたち,ぼや~と立っていないで何かしなさいよ!」と叫ぶオバサンが必ずいる。
1000人の野次馬が,ぼや~どころか,思わぬイベントに興奮していたのだ。

極右がいつも叫ぶ「ドイツ人のためのドイツ,外国人は帰れ!」を代表する政党AfDに賛同する人たちは日に日に増えている。
ホロコーストの存在を否定するような政党であっても,私たちだけの社会と文化を守ってくれるドイツ・ファーストであれば他よりまし,ということなのか,私はどの程度の人たちが本当に支持しているのか分からない。

ただ,東ドイツ人の名誉のためにも付け加えておけば,極右・ネオナチ・スキンヘッドに対して強い反対運動を続けている多くの人たちはいるし,昔の方が良かったというのは欺瞞で幻想に取り付かれているという人たちもいる。そして環境保護運動や人権運動など多くの市民運動なども,東と西の大きな差はない。

ロストックの事件についてドイツ人に尋ねると,通常は「旧東ドイツでは,共産国から来た労働者は閉じ込められていたから,一般の市民は外国人を本当は全然知らないんだよ」という答えが帰って来る。
つまり,食わず嫌いならぬ,知らず嫌い。少しづつ外国人が増えてくれば,時期に気にしなくなる,ということらしい。
ドイツ人の友人がときどき言っていた。「第二次大戦のとき,ドイツの兵士は敵国の人たちと接触しないように厳しく言われていたんだよ。理由はね。敵でも,嫌な人間でも,接触して知り合うと人情が生まれて戦意が落ちてしまうからなんだよ」
母国のために殺す命令を受けて向かったはいいけれども,相手も家族のために命を賭けている,という当たり前の馬鹿げた真実というか不条理に気がつくからね。

ところで,AfDの政治家がテレビで言っていた。
「ドイツにいる外国人といっても,たとえば日本人などとは全然問題ないでしょう? だから・・・」
喜ぶべきでしょうか。
ちょうどその頃,在独日本総領事館の某総領事がラジオ局のインタビューに流暢なドイツ語で応対していた放送を偶然聴いた。
「ドイツに住んでいる日本人には,街に出るときはきちんとした服装をして,できたらネクタイを締めて,身の安全のためにもベトナム人と間違われないようにしてほしい」

プログラム提供元: CComment