turkey 1 w640西ベルリンの友人宅に居候をしていたころ,買い物を頼まれて近所にスーパーに行きました。タマゴやソーセージを自分の袋に入れながらスーパー内を歩いていたところ,従業員が寄ってきて「袋に入れちゃいけません。入り口に用意してあるバスケットを使ってください」というようなことをドイツ語で(多分)言われました。

帰ってから友人に伝えると「お前,日本人でよかったなぁ。トルコ人とか中国人だったら,すぐに盗みで疑われてたとこだぞ!」。
1980年ごろのことです。その後もまさにちょいちょい,トルコ人に対するドイツ人の「ささいな」差別的行為を経験するにつれ,自分がトルコ人だったら日本にすぐ帰国するだろうな,と思っていたのを記憶しています。

そして十数年後,デュッセルドルフ郊外のラーティンゲン市。賃貸アパートを出るとき,次に借りる人を紹介しなければならず,個人広告で見つけたトルコ人を大家さんに紹介したら,大声で「ええっ!トルコ人!こどもまで居るの!冗談じゃないよ!」。
緑の党の前身となる党が生まれた左翼的な都会,西ベルリンですらそういう状況だったので,他の都市におけるドイツ人に対する「表には感じない」差別はいかほどであっただろうかと察します。

ご存知でない方に簡単に説明をしておきますと,ドイツとトルコの密接な関係は,多くの労働者を必要とした60年代の高度経済成長期に準備金を支払ってトルコ人に来てもらったガストアルバイターから始まります。
現在まで一般的に使用されているガストアルバイターという言葉は,考えてみると皮肉な意味合い有りです。ゲスト・ワーカーと云う意ですから,直訳すると「招待客の労働者」。専門の手工業者も多少はいましたが,ほとんどは専門技術を必要としない単純労働や工場労働者に,本音とは言えない敬意を表してゲストを付け加えたと勘ぐりたくなります。

現在のドイツにはドイツ生まれの2世や3世,ひょっとすると4世も含むトルコ系の人たちが約300万人居住しています。
70年代のドキュメンタリーを見ると,郷里トルコに住む家族のために車(多くは中古ベンツまたはフォルクスワーゲンバス)に大型電気器具を含む多くのお土産を積めるだけ積み,短い休暇を利用して数千キロ走るトルコ人家族団体の帰郷縦列の様子が描かれています。
現在そのような光景はなく,毎日運行されているドイツ各都市とイスタンブールやアンカラ間の航空便を利用,またトルコもその間劇的な経済成長を遂げています。

turkey 2 w6401970年代の初期にボスポラス海峡に浮かぶイスタンブールの街を見たときは,ローマじゃない,「イスタンブールを見て死ね」と感激しましたが,同時にほんの数時間を経てギリシャを抜けただけで,ヨーロッパの成熟した文化圏から離れたことも意識しました。
イスタンブールから東に東に進みながら,トルコの田舎町を通り抜けました。西洋の旅行者は貧乏旅行者でも毎食のようにシシケバブ,というかそれぐらいしか口に合うものはないという贅沢さ。トルコの地方の住民の多くは毎日毎食,山羊・羊のチーズとパンのみ,という声がまんざら大げさではないと思えるほどの生活の貧しさ,国境を越えて現れたイランがとても華やかで豊かな国に見えました。

その後のトルコは知りません。統計やドキュメンタリー番組などを見る限り,わずか30年の間にとても豊かになっているようです。
物心ついたころから物質的に豊かな社会に慣れているぼくらは,経済一本やりの社会に疑問を投げかちですが,経済成長を続ける(続けざるを得ない)国ではなく,貧困がどんどん消えて物質的な豊かさが目に見える時代は国民に大きな自信も与えていることは十分に理解できます。

想像ですが,トルコは現在,ぼくらのような物心ついたときに豊かだった世代が成人として社会に入りつつあるのではないでしょうか。
貧困から抜け出したい悲願もなく,背伸びをした愛国心も不要,それよりも自由で平等で民主的な社会を理想的と考える大人になった子どもと,そんな成長したこどもたちを諭す大人たちとの大きなギャップに,キリスト教社会と回教社会のギャップも加わった複雑な状況に陥っているのが現代トルコ,そんな気がします。

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