Berlin Hauptbahnhof

berlin hbf w900

ベルリン中央駅

鉄道の駅,とくに終着駅は,いつも多くの私的なドラマが,静かに,熱く起こっていた舞台でした。ほんのきのうのことのようですが,自動車と飛行機による移動が一般的になるにつれ,劇的な出会いや別れを演出した「駅」は,完全に姿を消したようにみえます。そのような駅の歴史の中でも,日本やヨーロッパの都市の駅とはかなり異なった空気に満ちていたのがベルリンの駅です。

ベルリンでは,ツェーレンドルフとポツダムを結ぶ鉄道(11km)が開設したのが1838年9月22日。その後,わずか10余年の間にハンブルク,ミュンヘン,フランクフルトなどとの都市を結ぶ列車が走り始めていますから,統一ドイツ建国に一役果たしたのかも知れません。
しかし,ベルリンの駅を想うとき,心に浮かぶのは,それほど遠い過去でもない,東に向かった大量のホロコーストの列車,そして鉄のカーテンの切れ目,分かれ目としてのベルリンです。特に共産圏から逃れてきた人たちは,最初の町ベルリンに着いたとき安堵したはずです。大多数はさらに西に向かいましたが,ベルリンに留まった人たちも多いようです。
欧州の都市の駅とは異なり,私的なドラマの舞台というよりも人間のさがを見てきたベルリンの駅。

欧州最大かつ最先端技術を誇るベルリン中央駅。いつものごとくというべきか,当初の建設費5億ユーロが最終的には10億ユーロを超えるようです。悲劇を繰り返さない希望への象徴なのか,経済力を示したい繁栄への決意なのかは分かりませんが,従来のSバーン駅には生存者もまだ多い生の歴史を感じられるベルリンが残っています。

ベルリン中央駅の基礎データ

- 総面積: 7万平方メートル
- 全長: 321 メートル
- 高さ: 46 メートル
- プラットホーム数: 14 本(地上10メートル,地下14メートル)
- 1日あたりの乗客数・入場者数: 30 万人
- 1日あたりの発着列車数: 1200 本
- 総従業員数: 800人余り
- 構内店舗数: 80 店
- エレベーター数: 14 基
- エスカレーター数: 54 基
- ガラス板: 1万5千枚
その他: 消費電力の5%を太陽電池によって供給

berliner-hbf.de

Berlin Friedrichstraße

friedrichstr w400h250

ベルリン・フリートリッヒ通り駅

東西ベルリンを鉄道で行き来する際の国境検査が行われていた駅で,いつもごった返していましたが,東側の人たちはほぼ皆無。
ベルリンのフリートリッヒシュトラッセと聞けば,この写真のような情景をまだ覚えている日本の人は多いと思います。特に,東ベルリンのビジネスビルに強制収容(?)されていた日本の商社マンたちは,毎日この通りから乗降して人たちも多いはずです。西側からのカネモチ訪問客・観光客は,強制両替させられた25DMを使い切るのにいつも苦労。買うもののない店を少し廻り,ブランデンブルク門や壁を反対側から眺め,美術館を見学して,日が暮れて門限が近づくと足早にフリートリッヒ通り駅に向かい,西側の自由な町に帰るのが普通のコースでした。口を利くことはもとより,視線も合わせない,多くの同じドイツ人とすれ違いながら。

Berlin Bahnhof Zoo

bhf zoo w400h250

ベルリン動物園公園駅

西ベルリンの終着駅はバーンホフ・ツォー。東に向かう列車はここで長い間停まっていた。ここを過ぎると(ここで降りないと)数分で共産圏に入ってしまう。緊張の時間が始まる。そんな感じだった。速度を出せない長い東ドイツ領域を過ぎて,ようやくヴァンゼーに停まると安堵する。いつも「ベルリンの中央駅は次ですか」というような質問がどこからともなく聞こえてきた。西ベルリン中央駅と云う呼び名でも良かったのに何故か最後までバーンホフツォー。少し小奇麗になったのは80年代の中ごろだろうか,それまでは暗い汚い駅だった。正面玄関ではない横の出入り口では,いつか有名になった「バーンホフツォーの子供たち」がいつもたむろしていたけれども,誰も,警察ですら気にしていない風だった。そうだ,この DUNLOP の広告文字は,薄汚くても,自由な町に入ったことを感じさせてくれたんだ。

Geisterbahnhof Berlin

geisterbahnhof w400h250

ガイスターバーンホーフ

もちろん幽霊駅という駅はありません。しかし,正式な名称があるにもかかわらず,別名 "Geisterbahhof" と呼ばれていた,S-Bahn/U-Bahn の駅は数多くあります。ベルリン市内を縦横に走っていた電車の路線ですが,東西ベルリンの壁の構築により,西ベルリンの所有だった地下鉄(Uバーン)の東ベルリン側の駅が閉鎖されたためです。因みに,西ベルリンも走っていたSバーンは東ドイツ所有管理で貴重な外貨稼ぎの元でした。ときには暗いだけの廃墟のような駅,ときには警備員が見えるような,乗降できない駅を通り過ぎて,再び西ベルリンに入る路線があったのです。今では想像もつきませんが,典型的な幽霊駅のひとつがポツダム広場駅です。

Berlin Alexanderplatz

alexanderplatz w400h250

ベルリン・アレキサンダープラッツ

ファスビンダーの映画しか頭に浮かんできませんが,本やテレビドラマシリーズをはじめ,数々の小説や事実の舞台となった場所です。西のクーダム,東のアレキサンダー広場といったところでしょうか。テレビ塔や美術館,それに中央広場に近い駅なので,東ベルリンだけではなく東ドイツで最も華やかな場所として最も多くの人たちが乗降していた駅です。
13世紀末,城府の一角として重要な位置を示し始め,18世紀からは中心的な広場となり,パレードなどの主舞台だった場所です。1805年10月25日,ツァー(ロシア皇帝)アレクサンドル1世をここで迎え,これを機にアレキサンダー広場に改名されます。