何も知らないということを,これほど多く知っていることは,嘗てなかった(哲学者: J. ハーバーマス)

からないまま行動を起こさねばならず,不安の中で生き続けなければならない現状。地球上の,異なった地域で,異なった時間に,静かに忍び寄り,社会のいろいろな部分を蝕む不安を抑えるために,多くの専門家が対処法を提案し続けているけれども,不穏はグローバルな規模で個人個人にも及びつつある。

確かに,初期の2月ごろから,「はっきり分からないウイルスなので,どういう展開になるかはまだ分からないけれども」という形容詞を伴った解説がいつも流れていた。
ドイツだけに限ってみても,ウイルス対策の政府のアドバイザーとなっている専門家や政治家の説明は基本的にほぼ同じなので,良い意味で云えば筋が通っているけれども,懐疑的な見方をすれば裏で口合わせをして,パニックを煽ったり株価の変動に影響を及ぼすような不都合な真実は隠している風もあった。

最初の頃は,健康への不安に対しては「感染する可能性は非常に低く,罹ってもほとんどは風邪と似た症状で回復する」,経済に対しては「リーマンショックほどにはならない」,失職に対しては「感染の拡大が原因で職を失うようなことはない」,病院の施設に対しても「ドイツは世界でも最も進んだ医療設備と社会保障制度が整っている」,マスクについては「感染防止の効果はない」,ウイルス検査は「感染者と接触していない限り不要」,「これからより多くの人たちのウイルス検査を行えば,現在1パーセントの致死率がもっと大きく下がるだろうから命に関わる可能性は極めて低い」など,強気と楽観的な見解だったのが,徐々に,しかし明示的に灰色になっていった。

市民の関心も,本当に自分の健康が大きく脅かされることを心配している人はそれほど多くはなく,「感染して入院が必要になった際に正しい看護を受けられるか」「職を失った場合や事業の売上が激減した場合に補償を受けられるか」という不安の方が大きく,社会はこれまでのように機能せず,あらゆる面で我慢を強いられることを覚悟しなければならない,という認識は少ないような気がする。

どのようなデータを元にこれらの見解が出ているのかについては知る由もないけれども,最近は1ヶ月前とは全く異なった悲観的な予測になっている。
今でも変わらない補足は「はっきり分からないウイルスなので,どういう展開になるかはまだ分からないけれども」。

もちろん人のことはいえない。私も同じ。1ヶ月前は見くびっていた。今は何も分からない。
分からないけれども,考え始めたことは,公の情報公開や見識は半分信頼しつつ,自分の身を自分で守るもうひとつの方法も真剣に考えなければならない時期が近づいていることだ。ただ,考えはぐるぐる廻っているだけなのけれども。

プログラム提供元: CComment