本当はみんなが分かち合えるエジル君の気持ち

oezil erdogan fotoールドカップ直前の頃からスキャンダルの槍玉に挙げられていたエジル選手のドイツ・ナショナルチーム脱退宣言,そして脱退理由にレイシズムも記されていたことで,さらに喧々諤々の議論が巻き上がり,未だに留まるところを知りません。

今回のような問題提起のテーマは、個人的には、後で説明する「見下す視線」が自分(たち)の身体の中に在ることを知っていると説明はつくのですが、気づいていないために、移民統合とか人種差別に関する議論だけが1人歩きしてしまいます。

「気づいていない」一例を挙げると、前回、前々回のトルコの選挙の折、「ドイツ在住トルコ人、それも数十年または数世代に渡って住んでいるトルコ系の人たちが、なぜエルドアンに票を投じるのだろうか?」という疑問が、本当に理解に苦しむ疑問といった風で多くのメディアで分析されていたことが思い出されます。
不思議な状況でもなく、分析するまでもないと考えるのですが、メディア関係者だけではなく政治家なども真剣にこの疑問を解こうとするのです。簡単に説明できるのですが、これについても後で書きます。

さて、エジル選手はドイツ,ルール地方生まれのトルコ系三世,10年ほど前から地元の強いブンデスリーガチーム「シャルケ」を皮切りに活躍を続け,現在はロンドンのFC Arsenalに所属しています。

エジル選手を巡る議論はどう考えてもピント外れのような気がするのですが,その前に,背景をご存知でない方に経過を簡単に説明します。

ロシア開催のワールドカップが始まる少し前にトルコのエルドアン大統領が英国を訪問した際,エジル選手(FC Arsenal)とギュンドガン選手(Manchester City)が表敬訪問という感じでユニフォームを贈呈して記念写真を撮った「スキャンダル」が発端です。

なぜ「スキャンダル」になるかといえば,現在のトルコ,特にクーデータ失敗後の専制に対する非難が続いている国の大統領エルドアンへの表敬など,けしからん,というのがドイツ国民の大勢の意見,のようなのです。

その後,ことの重大さに気づいたギュンドガン選手はエルドアン大統領訪問に対して反省の意を表明しましたが,エジル選手は何も言わないまま,レーフ監督に選出されたドイツ・ナショナルチームへの参加およびトレーニングのためにドイツに一時帰国します。

deutsche fussball fan w640後はご存知のようにドイツ・ナショナルチームは一次戦で敗退します。敗退理由のひとつとしてエジル選手のプレーの悪さも挙げられ,そして,売り言葉に買い言葉,エジル選手もドイツサッカー協会を非難するような発言で返します。
最終的に,エジル選手がナショナルチームからの脱退発表をした折,英語で書かれた長文の文書を公開したのですが,そこに,ドイツで生まれ育ちながら外国人として扱われてきたこと,多国籍選手が融合したドイツナショナルチームというドイツサッカー協会のPRの欺瞞などについて記されていたので,スター選手のチーム脱退ニュースだけに収まらず,ドイツのレイシズムの有無や在独外国人の融合策についても再び議論の火が付いたのです。

その日のテレビのニュースや主要メディアを少し引用します。

エジルは数年前にすでにナショナルチーム代表としての能力は備えていなかったし,優秀な選手ではない。ワールドカップでのプレーも最悪だったし,もっと早い時期に追い出しておけばよかったんだ。
ウリ・フーネス(Uli Hoeness)FCバイエルン会長
英国でプレーしている百万長者がドイツの移民統合政策について非難する資格などないのではないか。
マース外務大臣(Außenminister Maas)

普通の若者,エジル君

僕は熱狂的なサッカーファンではないので,毎日のように放映されるサッカー試合も見ることはあまりないのですが,それでもドイツチームの試合ではいつもエジル選手がいたので,記憶はいくつか残っています。
数年前,テレビのトークショーで,エジル君が「ときどきドイツ語は,きちんと話そうと思うと頭を集中しないといけないんです」と静かに語っていた様子が印象的でした。くよくよするタイプの人間はプロのスポーツ界では務まらないので,弱い性格ではないと思いますが,ミュラー選手のように,良くいえば明るい,悪く言えばC調の相棒たちとは対照的に,少なくともおしゃべりではなく控えめで繊細,そして真面目な人かな,とも感じました。

まぁ実の人間像は勿論わからないわけですが,それでもエジル君は普通の若者なのです。
子供の頃からスポーツに親しんだ往年のルール工業地帯のゲルゼンキルヘンは,炭鉱や労働者の町という雰囲気は消えても,外国人,特にトルコ人の割合はかなり多いので,移民の子供たちとの付き合いも多かっただろうと察します。
そして,能力を買われて中卒でプロ同然のチームで着実に才を伸ばすと共にサッカー一筋に努力してきた若者がドイツサッカー界の星になれば,トルコの有名人たちも会いたがるのは当然。エルドアン大統領にもおそらくトルコでも会ったことがあるはず。今回のロンドンでの写真によって,突如としてファンが手のひらを返したように反エジルになるとは本人もびっくりしたに違いありません。

ましてや,「迫るトルコの総選挙で再選を狙うエルドアン大統領に利用されたんだ,そんなことも分からんのか」と責めるメディアや一般ドイツ市民の意見は,正しいとしても僕には受け難い。
彼に対する僕の第一印象が間違っていなければ,舞台では水を得た魚のように自信にあふれた行動をとっても普段はナイーブで小心な少年だったマイケルジャクソンのように,エジル君もボールがあれば活発でも,社会の中では「困ったなぁ,ぼくは政治のことなど関心はないのに,どうしようかなぁ」と思っていただけかもしれないのです。
30にもなろうという青年は常識をわきまえた大人であるべし,が正論であるにしても,その「良識をわきまえた大人」がどれほどいるのか我が身を含め,周りを見渡して見ればすぐに気がつくはずです。

ところで,テレビ・映画・音楽・スポーツなどのスターは,ほとんどの場合,自分が携わっている分野にのみ集中し,生活を含め,周りのことはほぼすべてエージェンシー,コンサルタント,弁護士,マネージャーなどが世話しているはずです。マネージャーに騙された,などというニュースはスターに限らず毎日のように耳にします。

ですから,エジル選手にまつわる「スキャンダル」もエージェンシーがらみ,エジル選手は「うん,いいよ」と言っただけ,という気がしますが,それよりもエジル君は,インテリでもない,もちろん無知でもナイーブでもない,サッカーというひとつの分野に突出しているだけで,それを除くと,普通の若者だという,当たり前のことを分かってあげなければいけない。

また,ソーシャルメディアを通じた彼の言動はともかく,公の発言は「影の人間」が書いただろうという想像も働かせるべき。特に,サッカー協会の幹部はエジル選手の人間性や性格を知っているはずなので,どの部分に彼の真意があるのか察する気持ちを持って読むべきではないだろうか。

エジル選手の周りでは,「なんだかんだ言っても,ドイツという国やドイツ・サッカー協会が言う移民統合策なんて所詮PR。あんな欺瞞はガツーンと言ってやらんと傲慢なキャベツ野郎には通じへんねん」と言って盛り上がっていたかもしれません。
まぁこれは何も根拠はありませんが・・・

サッカーにおける選手やチームのプレー

ワールドカップでの試合やワールドカップ前の友好試合でのエジル選手のプレーが良くなかったという指摘は,フーネス会長以外からもあったようです。
もしそうだったとしたら,その原因をエジル選手自身のせいにするのはお門違いなのです。

いくら優秀でエネルギー満々の選手でも,観客がいなかったり,興味がなくて何となく居るだけの観客ばっかりだと,やる気が失せ,良いプレーができないことは十分想像が付くし,おそらくプロの選手たちも「あったりまえだよ」と言うと思う。
敵の陣地に踏み込んで行う試合は大変であろうことも想像つきます。ワールドカップでもロシアの監督がやたら観客の方を向いて,もっと激しく大声で応援しろと発破をかけていたのを見て,全力を尽くしても「応援で得られる」わずかのプラスアルファーのエネルギーが有ると無しでは大違いなことをぼくも改めて発見しました。

ブンデスリーガの代表メンバーになれるだけでも,すでに優秀なサッカー選手として認められているので,上級プロ世界のトップ水準にいる選手たちのプレーの良し悪しについては,ぼくのような人間がコメントできるはずもありません。

しかし,事情や背景を抜きにして非常に不愉快に思ったことがあります。
エルドアン大統領との写真スキャンダル後の最初の試合に,エジルがグラウンドに出てきたとき,観衆から大きな「ブー」という非難の合唱が聞こえたのです。
何をもって彼を非難しなければならないのか,ぼくにはさっぱり分からない。
こんなファンは,「専制政治家や非民主主義国家を支援する人間は悪」として咎めながら,自分たちは民主主義や人種平等を重んじる善良な市民のふりをしています。そして,チームが負けるなど,あらゆる不満が起こると,ビール瓶を叩き割って撒き散らす人たちのような気がします。

応援されないどころか,「ブー」では,やる気が失せないほうがおかしいのではないでしょうか。そして,エネルギーが足りないといって新たに責める。
本当にエジル君の発言かどうか定かではないにしても「勝ったらドイツ人,負けたら移民」と言いたくもなる。普段は心の奥にしまって,無視するように努めている,ささいな心のわだかまりが,何かのきっかけでバンと出て来る経験は誰にでもあるはずです。それをまた大真面目で議論するから,ややこしくなる。

自分は外(国)人という疎外感

mesut oezil spiegelスタンプが押されたような正真正銘の国民,米国ならば白人でプロテスタント,日本ならば家系図に残る限りの純粋日本民族で遠島・部落とも縁がない人たち,ドイツならばカトリックかプロテスタントの家系が続いている旧ゲルマン,そういう人たちの方が少数派であるにもかかわらず,本家の印章だけで価値感の主流を握っているので,それから少しでも外れた人たちは多かれ少なかれ「外の人間」という感覚が付いて廻り,それはどの国でも同じなのです。

そういう人たちが意識・無意識的に抱いている,小さな「自分は外の人間」という感覚は,悲しいかな,というか,なぜか国の主流の人たちは感じることもなく,知ろうとする興味もないとしか思えません。
上記のマース外務大臣の発言が典型的です。外国に長期間居住して,少数派というよりも,その国の人たちよりもランクがひとつ下であるという視線を感じた体験など全くなく,またそのような人間社会の複雑さに対する関心も全くないので,説明しても理解できない,大学を優秀な成績で卒業したインテリとしか思えません。
今週のシュピーゲル誌(上の写真)のタイトルは奇しくも「疎外感」となっているので,ドイツ国内で(または世界の国々で)疎外感を感じている人たちの気持ちや背景が書かれているかもしれません。

また,経済大国ドイツの国民,なかでも白人キリスト教徒というIDを持った人は,ランクがひとつ下の人間として見下しの視線が注がれることは,世界中どこに行ってもほぼ絶対起こり得ないのです。
もちろん,好き嫌いや価値感の違いから尊敬を得られないことはあると思いますが,それは別のことです。

「肌」で感じることがないことを理解できないのは分かりますが,高等教育を受けた聡明な頭脳を持ちながら,白人キリスト教徒というアイデンティティーに対して,そのIDを持たない「外の」人たちがどのように感じているのか考えることすらしないことに対して,「外の」人たちは白人キリスト教徒および彼らが属している国の高慢さを感じるのです。

誤解がないように改めて説明すると,白人キリスト教徒という言葉を用いましたが,特に彼らが傲慢であるということではありません。人間(のグループ)の他の人間(のグループ)に対する差別は,世界に星の数ほど存在します。
大きなグループだけに絞って,国,民族,宗教だけに限っても,絶え間ない紛争や軋轢があるのはご存知のとおりですが,世界の片隅の地域における「見下し視線」もどこにでも存在します。

民主主義に基づいた先進国では,この「差別」を法律で禁じ,道徳教育を行うことで,見えにくい形になっていますが,差別意識を優劣感情という言葉で置き換えるならば,人間の肌に染み込んでいるといってもいいほどです。

説明が長くなりましたが,実際に表現するしないにかかわらず,「見下し視線」は人間の習性とも言えるのですが,経済的に裕福な国に属している白人キリスト教徒というグループのさらに上級のクラスは現世界に存在しないので,彼らだけは「見下し視線」を受けることはない,ということを言いたかったのです。
彼らが悪いとか,白人キリスト教徒は差別意識が強い民族主義者だ,などとは全く思っていないどころか、大多数の真面目なドイツ人は「真の平等・公平」に向けて涙ぐましいほど日々真剣に取り組んでいます。
北欧諸国のほうが一歩進んでいる印象はありますが、それでも今回のテーマとなっているトルコや日本などとは比較にならないほど、より公平な法律、より平等な姿勢を目指すことを常に意識しています。

The Long and Winding Road

香港に生まれ育ち,20代で家族と共にアメリカに渡った昔の友人の女性は,その後,「もう Aida って呼ばないでね,中国名に変えたというか戻したんだから」と言ってきました。笑いながら「私たちはここではカラードだから」という言葉を付け加えて。

海外の日系2世や3世,そしてハーフの人たちも数多く知っています。あるドイツ人と日本人のハーフの男性のアパートには,壁に大きな日本の国旗が掛けられ,その真ん中に日本刀が飾られていました。もちろん東京銀座のトラックから大声を枯らすようなタイプではない普通の青年です。

国は,ますますメルティングポットというか,コスモポリタン世界になっていきますが,優劣意識のない人間社会に辿りつくまでは,まだまだ The Long and Winding Road を歩み続けなければならないようです。

 

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