ドイツとサッカー

football w640イツサッカー協会はヨハヒム・レーフ監督と共に7日以内に「ドイツチーム敗退」の原因分析を通した報告を提出するそうです。
内容は想像できませんが,それほどの大きな関心があるわけでもありません。
ただ今回は,私のようなにわかファンでも薄々感じてきた,世界,ヨーロッパ,そしてドイツのサッカー界の過去20数年ほどの変化は,あまり間違っていなかったな,と思わせるドイツチームの敗退でした。

私はこの試合は見ていません。本音をいえば,勝ち残ると思っていたので,次回の8強ぐらいから見ようと考えていたのです。
でも,これまで毎晩の試合の中で,一部だけにしろ多くのチームのプレーを見てきて,国によって「集中エネルギーのすごさ」が存在することと,「サッカーというスポーツの不思議さ」を再認識させられました。
テレビでコメンテーターや選手たちの意見を聞いていると,「これがサッカーだよ」とか「サッカーだから」という言い回しが度々出て来ます。
言わんとするところは,何が起こるか分からない,だから面白い,という意味のようです。
また,90分間ずっと集中してプレイするのは非常に難しい,というコメントも聞かれました。
先日,ロナルドがペナルティーキックをしくじったとき,オリヴァー・カーンは「ロナルドにとって燃えるには,まだ小さな試合なんだよ」と言っていました。
多くの監督から「数日後にまた試合があるので疲れが残らないように」というのも度々聞かれる意見です。

ハングリー精神の強さ

そういうスポーツ,サッカーの常識の中で「すごい」と思ったのは,まずアフリカ諸国(モロッコ,ナイジェリア,チュニジア,セネガル),次に中近東諸国(特にイラン,そしてサウジアラビア,エジプト)の,常に力を出し切る「燃えるようなガッツ」です。
90分間,集中して走り続けるには体力が必要なことは当然ですが,このように燃え尽きるまで頑張り続ける気合いは,西欧のチームには稀にしか見られず,特に過去のドイツのナショナルチームの試合振りからは少なくとも僕はたまにしか感じたことはありません。もちろん素人評価です。

前回のワールドカップの優勝チームということもあるのでしょうが,各国の代表選手が口を揃えるように「ドイツはマークしている手ごわいチーム」と言っていたのは意外でした。

これから,やっと同レベルでスタートする世界のサッカー

ボール1個だけでプレイできるサッカーは,金がかからない楽しい遊びであると共にフェアなスポーツ。それもあって,世界中の貧困地でも最もポピュラーになったスポーツ。
それでも,これまでは,専門的な選手育成方法と戦略を通した強さを保持してきたヨーロッパ諸国,そして個性的で伝統あるサッカー技能で優れた南米諸国が,常に一歩先を進んでいました。
そのような構図が変わりつつあることを認識させられたワールドカップ2018の一次リーグではないだろうか。
もちろん30年前でも,カメルーンのようなアフリカ勢が活躍していたと思いますが,サッカー選手のレベルも世界全体で著しく伸びた現在,第三諸国も欧州の専門コーチによる育成の甲斐あってか,トップレベルまで上がってきた印象です。

ですから,残るは,力尽きるまで頑張り抜く精神力とハングリー精神。このハングリー精神だけは,努力で得られるものでも,習得法があるわけでもないと思いますが,経済大国の欧米諸国にはないことだけは言えます。
「何が起こるか分からない」面白さを持つサッカーでも,勝つ鍵を握るのは,ハングリー精神溢れる,燃えるガッツであることを,ドイツ人に「ガーン」と知らしめた強い教訓だと思います。

4年後のワールドカップでは全世界のチームがほぼ同レベルになり,ドイツはおろか,欧州勢の優勢を語る人はいないかも知れない。

サッカーの人気上昇と天文学的な経済効果

先日,ドイツに長年住んでいる女性が「ワールドカップのときだけは私もサッカーファンになるの」と言っていました。
また別のドイツ人の中年男性から「(プロのサッカー選手は)見分不相応の金をもらい過ぎるから,あまり気を張らなくなるんじゃないかな」と言うのを聞いて,なるほどと思ったものです。

ドイツ・韓国戦の当日のニュースでは,「サッカー観戦による仕事のペースダウンで,ドイツだけでも1億3000万ユーロから最大2億ユーロの経済損失」が予測され,同時に勝ち抜いて行った際の,より高い経済効果についても書かれていました。
負けて損失のみとなった今。いやはやサッカーなるもの,天文学的な経済効果を生み出したり,ギャンブル風に振り回すマンモスビジネスです。

ワールドカップは民族主義,それとも愛国心?

知識人やジャーナリストの中でも,ときどき「サッカー・ワールドカップやオリンピックは民族主義的なスポーツの場」になっていると批判する人がいます。
ワールドカップのサッカーは,国に関係なく優れた選手やチームと優れたプレーを讃えるべきだとの主張です。
まさに正論で一理あると思いますし,私もどちらかといえばそちらの立場ですが,国同士で戦いたいのであれば戦争するよりよっぽどまし,という考えで思い直しています。

ところでドイツは戦後,国旗を掲げたり,ドイツという国をドイツ人が公に自慢することを極力控えてきた,控えざると得なかった,という声を度々聞いたものです。
国旗は国家,国旗を掲げると「ドイツに国粋主義者が増えている」という風に,なぜかドイツだけに批判が向けられてきたのです。
国歌も,現在は歌われていないにしろ,Deutschland, Deutschland über alles in der Welt というテキストは,ドイツは世界のどこよりも優れている優秀国家,優秀民族,という匂いがするのも当然のような気がします。

戦後の経済発展,そしてサッカーワールドカップに西ドイツが優勝した1954年からドイツ人は普通に国旗を掲げ,ドイツ人としても自信を取り戻したという意見も時々見られますが,少なくともこれまで私が聞いたきたドイツ人や戦後ドイツのルポなどからは,東西ドイツ統一または1990年のワールドカップ優勝の頃から徐々に変わってきたと思っています。
にもかかわらず,現在でもナショナリズムを思い起こさせるような行動は控えよう,という態度は個人的にはとても立派だと思っています。
数年前だったか,CDU議会でドイツのサッカーチームを讃えるために大きなドイツ国旗を振り始めた国会議員の旗をすぐに取って「よしなさい」という目付きをしたメルケル首相を見て,「さすが」と思ったものです。

やはり,国を誇る喜びは他国の人たちに向けるものではなく,国内の人々と分かち合う連帯感ぐらいがちょうど良いのです。

「この間,優勝したんだから,今回は別の国の方がいいんじゃないの」と,さらっと言いのけたドイツ婦人,彼女も「さすが」です。

 

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