40y hotel nikko 4ュッセルドルフのホテルニッコーが初めての客を迎えたのは,ちょうど40年前の1978年8月14日。

独日センターと共に開業したホテル・ニッコーは,いろんな想いを抱いて40周年を祝ったに違いありません。
新たな改装と新たなマーケティング戦略による再生,そして欧米で唯一生き残ったホテルニッコー・ブランドをアピールするために。

40歳の誕生日には,ホテルのテラスから,宿泊,スパ,弁慶レストランなどへの招待券を結んだ風船を飛ばしたので,ひょっとすると道路上で偶然見つけた幸運な人がいるかもしれません。

しかし,40年前の独日センターの隣人はもう誰もおらず,パートナーだった海外の日航ホテルも欧米最後のパリ・ロンドンが閉業し,最近は海外にホテルニッコーというホテルがあることすら知らないかも。
ところで,同ホテルがある独日センターの竣工式は記録によると9月8日となっていますので,独日センターの建物はすでに全て完成していたようです。

いずれにしても,80年代にはキャノンをはじめとする多くの日本企業,日本商工会議所,デュッセルドルフ日本総領事館,東京銀行,三越,JTB,ブックスニッポンなどがテナントとして入り,すぐ隣りの日本食レストラン「日本館」,高木書店なども含めると,イマーマン通りに突然出現したリトル東京でした。時代は変わり,それともバブルが弾けたことが遠因となり,デュッセルドルフ日本総領事館,日本商工会議所,三菱東京銀行もすでに移転,企業は家賃がやや安くて広いデュッセルドルフ左岸のハンザアレー周辺などに移転,三越,キャノンなどは閉店,独日センターという物理的な建物があるわけでもないので,「ニッポン」という名前は有名無実という感じです。
短い期間の日の丸センターでした。

Michael Bauer (Director Development & Acquisition EVENT Hotels), Sandra Epper (General Manager Hotel Nikko Düsseldorf) | Foto: Hotel Nikko Düsseldorfホテル・ニッコー・デュッセルドルフは,日本航空,丸紅,オークラグループなどが事業や経営に携わっていた日本企業との結び付きも最終的に2003年に完全に切れ,以来,イベント・ホテル・グループおよびアート・インヴェスト・リアル・エステートがホテル・ニッコーの事業経営者となっています。
なぜ,ニッコーという名称を引き継いだのかについては知る由もありませんが,JALホテルだったら別名になったことは確実。

「ニッコー」から「日航」を連想する人はいないので(少なくとも非日本人では),JALの宣伝になるわけでもなく,「日本」を連想させる "NIKKO" が音声的にエギゾチックなホテル,そしてホテルPRで謳われている「アジア風のおもてなし」をホテルの特徴とすることがふさわしいと考えたのでしょう。
逆にいえば,JAL にとってはラッキーです。何もしなくても,別に日本人がホテル・ニッコーに宿泊しなくても,ホテル・ニッコーという立派なホテルがデュッセルドルフの中心地にど~んと座っているという事実だけで大きなイメージPRになるのですから。

20年ほど前から,デュッセルドルフの国際クラスのホテルも増え続け,ニッコーに限らず多くのホテルの経営者が代わるのを見ながら,ホテル経営の難しさをつくづく感じます。
個人的には,見本市時期のホテル料金は暴利に近く,法的な規制を望みたいところですが,オフシーズンはええっと思うほどの安さなので,我々が賢く利用するしかないようです。

三菱東京銀行があった別棟も加わった400室近くの大ホテル。ロビーだけではなく,ほぼ全室の改装も完了したホテル・ニッコー・デュッセルドルフは,スパ完備のホテルとして,そして本物の日本料理が味わえる「弁慶」を備えた日本風ホテルとして40歳を祝った,そんなところでしょうか。

https://www.nikko-hotel.de/