鐘が鳴る

イースターの休日。少し暖かくなってきたので窓を開けていたら,近くの教会の鐘が,気のせいか,ひときわ力強く聞こえてきた。
日本のお寺の鐘も趣があるけれども,ヨーロッパで聞く教会の鐘は,いつも「キリスト教の価値感がしっかりと染み込んだ社会」であることを改めて思わせる。

でも,きょうは,きょうの僕の感じは少し違った。
戦争が終わり,瓦礫の山や崩壊した建物に囲まれた生活でも,一種の安堵と平和への喜び,そして希望に新たに向かう喜びの表情の人々の映像やドラマのシーンをふと思い起こした。

でも,数々のモノクロ映画やドキュメンタリーに出ていた人々はもう亡くなっているに違いない。だから,現在生きている人たちは僕と同じように,実体験はなく,頭の中で勝手に想像しているだけのはずだ。
世の中には自薦他薦の多くの頭脳の優れた人たちがいるけれども,第二次大戦は勿論,ベトナム戦争でさえ,少なくとも欧米や日本には実体験者はもういないに等しい。

第二次大戦以来の戦争の惨事という副題が付いたウクライナ戦争論が渦巻いている。
政治分析,人間(プーティン大統領)分析,経済動向,その他のわんさとしたコメントなどを行っている人たちが,もしハイレンダーのように遠い過去の戦時社会を体験し,しっかりと覚えていたとしたら,必ず別の言動,行動を起こしているはずではないか,そんな思いを抱く。

その,ほんの小さな,「ほら,そうだろう」を昨夜のニュースで聞いた。
歯(武器)に歯(武器)を,という意味ではない。
(自分では)よく考えて理性で定めたはずの判断も覆すほど,実体験は非常に重いということ。

キエフを訪問したドイツ社会党(SPD)の国会議員が声をからして訴える。
「重戦車や重火器も含み,ウクライナが必要とする武器を今すぐ提供すべし。私は壮絶に崩壊した現場や死傷者を見て気が変わった。今武器が無ければウクライナは防衛を継続できない。」
(注:ウクライナへの重火器提供に反対しているのは,AfD,Linke,SPD。FDPと緑の党は賛成側に廻った。)

今日,4月15日の金曜日から始まる復活祭の好例のデモ,「武器を捨てよ」の平和の行進,はどうなるのだろうか?


 

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