ドイツ石炭産業に幕
ドイツ最後の炭鉱が閉山,RAGも50年の仕事納め
ルール地方に残っていたドイツ最後の炭鉱が閉められたことで,それぞれいろんな想いを抱いた人たちがいることは十分想像できます。
ドイツにはまだ褐炭の露天掘りは残っていますが,実生活で石炭・コークスに接することはもうないでしょう。
教科書用の歴史的には,数千年前の発見と偶然的な利用,英国で始まった産業革命・重工業時代を支えるエネルギー源としての18世紀からの急激な採掘。英国に続き,ドイツでもすぐに開始された大規模な炭鉱の多くは,ザールラント地方を除くと,ルール地方の一帯に集まっていました。
1970年代初めの石油ショックで,自国で石炭を採掘する重要性が改めて若干見直されたものの,1960年代から一貫して採算は合わず,世界の石炭価格に合わせるだけでも多大な助成金なしでは成り立たない産業になっていました。
経済的な見方をすれば,少しでも経営が成り立つように,23社の鉱山・炭鉱会社の一括管理および政府との交渉を担うルール石炭会社(RAG: Ruhrkohle AG)が設立されたのがちょうど50年前の1968年。それでも実際は,販売価格の2倍の費用をかけて採掘を続けるというマイナス経営。最盛期の60万人の鉱夫が1万人強に減っても,多大な援助金が支払われ続けて来ました。
炭鉱廃止に決定的な役割を果たしたのは,気候温暖化政策に対するドイツ政府。石炭を利用する限り,二酸化炭素排出量を削減できないので,10年ほど前にすでに「2018年末を以ってドイツ炭鉱の閉鎖」は決まっていたのです。
地元の人たちにとっては,おそらく感傷的なできごとだと思います。
ルール地方一帯に住んでいる人たちのほとんどが直接・間接的に炭鉱とつながっていた時代は,20-30年前にすでに変わりつつあったので,最終的な閉鎖は正式な節目という感じで受け止めているのではないでしょうか。
50代以上の世代にとってはノスタルジー,若い世代にとっては労働者の町から完全に脱皮した新しい世界,いずれにしてもルール地方の住民には何らかの強い一体意識があるような気がします。
いや地元の住民ではなくても,炭鉱で昔働いていた日本人や韓国人などもニュースを聞いて感慨深い思いに浸っているかもしれません。
暖房用のコークスを燃やした空気の匂いが冬の到来を気づかせ,煙突から雪の空に上がる煙を見てロマンチックになることは少なくなります。
ぼくらのような他人が言葉をかけるのは少し気が引けますが,今回は一応,"Glückauf !"