鉄道の旅

locomotiv W640近でも鉄道マニアと呼ばれる人たちは多いのだろうか。まぁ,マニアとまでは行かなくても,蒸気機関車が観光用に残されたわずかな線を除いて消え去り,ほとんどの人たちが自家用車を持つようになると共に,鉄道ファンも減り始めたような気がする。

ヨーロッパの鉄道の旅は,車窓からの多くの国々の特徴的な眺めもさることながら,列車や客席のいろいろな構造・内装なども楽しめた。
こどものころは,路面電車に乗ると窓に顔をくっつけて,流れる眺めを追っていた。外で遊んでいる時に汽車が来ると,待ち構えて手を降り続けた。

ヨーロッパの列車はコンパートメントが当たり前と思っていたのに,扉がずらりと並んだ英国の列車で各席から乗降する人たちを見たときは驚いた。初めて乗るときは戸惑ったけれど,その後,扉だらけの汽車に当たると,ある種の心地よさを感じるようになった。
いずれにしても,窓が開くのは当たり前,同乗者との会話や食べ物の分け合いは旅中の情け(?)だった,鉄道の旅の一般的な光景が消えた寂しさは少しある。

時代が変わり登場した,欧州圏外に住む人たちを対象とした欧州周遊券のようなユーレールパス。欧州の若者たちに,これからの人生でパートナーとなる多様な隣国の姿を見て欲しいという願いが込められたインターレール。
移動手段としてのみの鉄道になった気がするけれども,それでいいのかもしれない。
ヨーロッパ全土に敷かれたレールの上を縦横に走る。
スカンジナビアの北端のラップランドから,往年のコンスタンティノープルやモロッコに渡る港町まで鉄道網は張り巡らされているので,もっともっと楽しんでもいい。

ここは異国の地。「今夜の夜汽車で旅立つ俺だよ」とはいかないかもしれないけれど,西ヨーロッパの安全性は高いから「あてなどなくても,どうにかなるさ」

ヨーロッパの終着駅

frankfurt station W640道の駅では,いつもいくつかの出会いや別れの光景が見られる。昔はもっとドラマチックだったはずだ。
波止場のように,船の甲板から紙吹雪のように投げられるテープは少なかったけれども,ときどき窓からの紙テープで繋がれた「結び」を惜しんでいるような人はまだ居た。
駅はふつうの人たちのドラマが毎日突然現れては,静かに消えていく場所だったのだ。
ヨーロッパも同じだけれども,少し,というか,かなり違うのは恋人たちの抱擁が多いことだろうか。美しく幸せそうな光景もあるけど,雑踏の中で孤独を堪える悲しい光景も同じぐらい多い。

パリ東駅

gare de lest W640ウィーンからの夜行列車でパリの朝に初めて着いたときは,パリに足を踏み入れたんだという興奮と共に,フランス人たちのキスを振りまく情景に驚きながら,いつか自分もという憧れの気持ちも強く抱き始めた瞬間だったかもしれない。
乗降口のトイレに近い床に座り込んで一晩を過ごした後,ようやく着いたパリ。隣に座っていた,若い,小さくてふっくりとした若いフランス人女性ともお別れだった。
ヨーロッパの多くの中央駅は,大きなトンネル状の建物で,行き止まりの駅が多いことを後々気づくことになった。
そのときはパリにいくつもの中央駅があることは知らず,到着したのが東駅という名称であることなど知る由もなかった。

アムステルダム中央駅

amsterdam station W500H380早朝のアムステルダム。着いたときはまだ薄暗かった。
構内から駅前に出たとたんに目に入った多くの自転車の光景には驚いた。と同時に,聞こえてきたカモメの鳴き声が何故かとても感激的だった。あぁ海が近いんだ。いいなぁ,と思ってふと見ると,ひとりの男が自転車の鎖を大きなペンチで簡単に切り取って盗み去って行った。まるで昔見たスティーブ・マックウィーンの映画「大脱走」の光景と同じだ。知らない街で,早朝から立て続けに驚きの体験をすることになった。

アムステルダム中央駅では別の体験もある。ドイツに住むようになり,日帰りでアムステルダムに行った。夕方帰るとき,中央駅で,「ドイツに帰りたいんだけど金が足りないんだ。少し恵んでくれないか。5マルクでいいから」とドイツ人らしい若者に声をかけられた。疑わしかったけれども,まぁいいか,と思って5マルク硬貨を渡した。
ところが,その後,1年ほど経ってまたアムステルダムに日帰り旅行に行った帰りの夕方,中央駅でまた声をかけられたのだ。同じ若者だった。そして同じ言い口だった。
「ドイツに帰りたいんだけど金が足りないんだ。少し恵んでくれないか。5マルクでいいから」
ぼくは言った。「去年も同じこと言ってたね。ドイツに帰りたいなんて嘘なんだろう。悪いけどもうあげないよ」

ひょっとすると,彼はフランス行きの列車が出発する時間にはまた中央駅にやって来て,フランスに帰りたいフランス人になっているのかもしれない。

マドリッド駅

gleise W640構内は,パリに向かう夜行列車に乗り込む人たちで結構ごった返していた。寝台車があったのかどうか覚えていないけれども,ぼくが見つけた席のコンパートメントは「今晩は横になれないなぁ」と思うほど一杯だった。多くはスペイン人。
ぼくが入ったコンパートメントに若い女性とお母さんらしい婦人がいた。
ゴトン,ゴトン,と列車が動き始めると,婦人は急いで出口に向かって行った。そのとき,窓から顔を出していた彼女が発狂したように叫んだ。同席にいた他のスペイン人たちも騒ぎ始めた。スペイン語が分からないぼくは,隣りの若者に「どうしたの」と聞いて初めて事故を知った。
お母さんは降りるときに仰向けに倒れて頭を打ったらしい。列車が駅を離れ去った後も彼女は振り乱して泣き続けていた。
ずっと泣き続け,次の駅で彼女は降りた。次のマドリッド行き列車に乗るために。

ベルリン動物園駅

terminal W640日本語で書くと動物園駅となり,間違いではないんだけれども,やはり「バーンホフ・ツォー」と読んだほうが納得する。
このバーンホフ・ツォーが西ベルリンの中央駅。西ベルリンに入ってもWannseeで降りるなよ,また乗り過ごして東ベルリンのFriedrich Strasseまで行くなよ,降りるのは必ずバーンホフ・ツォーだぞ,というのは口が酸っぱくなるほどベルリンの友人に言われていた。
陸の孤島,西ベルリンの中央駅に相当していた動物園駅は廃墟かと思うほど殺伐とした灰色だった。
居候していた友人宅が近くだったので,毎日のようにこの辺りをうろついた。駅の裏口ではいつも薬の売買をしているような連中が集まっていた。10代の子も結構いたので「バーンホフー・ツォーの子どもたち」だったのだろう。でも危ない雰囲気はなかった。みんなラリっていただけだ。警察官もときどき見たけれども,素人(?)の麻薬の売買ぐらいは見てみぬふり。

ローマ駅

rome W420H550欧州諸国の中央駅は,初めて鉄道が敷設された時代を思わせる古い立派な建築物が多いけれどもローマ駅の外観は正直言って拍子抜けした。その後に見た映画「終着駅」も同じだったので,かなり昔にモダン建築として建てられたのだろうと後に納得はしたけれども。
駅前のバスターミナルでは,目的地に行くバスを見つけるのも,乗るのも大変だった。多くのバスが入ってきてはすぐに出てゆくので,ひとつふたつ乗り過ごしてしまった。番号を確認してすぐに乗り込まないと,さっと去ってしまうのだ。

都市の中央駅はどこでも,夜が更けると行き場のない人たちが集まって来る。
ローマのテルミニ駅も同じ。ぼくは駅の端っこにある立ち食いパスタ屋で夕食をとるためにやって来た。
ペンションまで歩いて帰る途中,やつれた若い女性に声をかけられた。お腹が空いているので少しお金をちょうだいと。
どうせもらった金で酒か薬でも買うのだろうと思って,今行った中央駅の軽食堂にさそったら,駅周りは嫌だという。
もう真夜中に近い時間。ホームレスで泊まるところもないらしい。
連れてってと言われ,仕様がないからペンションのオーナーに見つからないように部屋に入ってもらうことになった。
翌朝,バスに乗るとき「何時に帰ってくるの?」と大声で聞かれた。「分からない,3時ごろかな」
彼女は来なかった。

フランクフルト駅

central station W640ドイツのフランクフルト駅は終着駅ではないけれども行き止まりになっているので,10本以上のプラットフォームで多くの長距離列車やローカル列車が出発・到着する大きな駅だ。
フランクフルトに住んだことはないけれども,頻繁に行っていた時期があった。
一度,列車を降りて出口に向う途中,構内の店で働いている女性から声をかけられた。
「あそこに2人の女性が見えるでしょう。あの人たちはスリだから気をつけてくださいね」
エッと,思いながらも,ぼくは感謝して立ち去った。
そのひと月後ぐらいだったろうか。またフランクフルト駅に着いた。
「あそこにいる人たちには気をつけてください。スリですから。」
今度,注意してくれたのは警察官だった。